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2010.09.06 / Top↑
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2010.09.06 / Top↑
★ もう何度も書きましたので耳タコと思いますが、戦争から帰り真っ先にすること、フランス人は妻の手を取り寝室へ、イタリア人は人妻の手を取り寝室へ。人間的です。ちなみに日本人は近所に挨拶回り(^_^;)。ヘタリアという漫画があります。ご存じの方多いと思いますが、戦争でのイタリア人のへたれぶりを書き、とてもおもしろいです。しかしでございます。イタリア人も第二次大戦ではファシズムに抗してパルチザンとして勇敢に戦っています。イタリア人はイタリアは自分たちで解放したと大きな誇りを持っています。要するに命令されて集団で闘うときは徹底的にへたれ、個人の尊厳をかけ戦うときは驚くほど勇敢、日本人とはおよそ正反対の民族性のようです。日本ではあまり聞きませんがパルチザンの愛唱歌さらば恋人よ」は今なお世界中で歌われています。親しくしていただいているブログさんで知ったのですが、天才ピアニスト、ミケランジェリもパルチザンに参加し、ピアニストの命、腕を負傷しているのですね。心から尊敬します。
(漫画はサイト「ヘタリア」さんより)

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★ 戦場では何はなくてもパスタ! 

 まあ、確かにへたれでございます。かって全ヨーロッパはおろか西アジアまで征服したローマ帝国の子孫とは思えぬへたれぶり、いくつかエピソードをご紹介します。(「
イタリア軍はなぜ弱いのか?」より)
● アフリカ戦線。イタリア軍部隊から救援要請があったのでドイツ軍中隊が戦力をさいて救援に向かった。「おー、グラーチェ」。イタリア軍は砂漠でパスタをゆでるため貴重な水をふんだんに使い、飲料水がなくなり、ドイツに救援を求めていたのだ(^_^;)
● 第二次世界大戦後、ユーゴパルチザンの捕虜になったドイツ兵はあくまで頑固で拷問にも屈することなくセルビア人の怒りをかったが、イタリア兵はすぐに泣いて許しを請うので拷問がとまった。
● わたしも見たことありますがケニアにはケニア山というアフリカ第二の高峰があります。イギリス軍の捕虜となり毎日ケニア山を見ていたイタリアの3人の捕虜、ある日脱走した。そしてやったことが。せっせとちょろまかしていた食料を持ってケニア山に何と初登頂。登ったらすました顔でまた収容所にご帰還。イギリス軍もあきれたとか。
ブラボー!
 ナポリでは丸ごと軍艦一隻かっぱらわれている。盗まれる軍人もへたれなら、ナポリのかっぱらいはものすごい(^_^;)
 まあ、イタリアは「10%の真面目な国民で支えられている」そうですけれど(^_^;)。ファッションショーのような派手な軍服を着て大量のワインやフルコースのイタリア料理を戦場に持ち込み、まあこれじゃ負けますわ(^_^;)。けれど何と人間的、うまいもん食って、女の子にちょっかい、これが人間じゃ。「ヘタリア」はイタリア人をおちょくっているようで実はいつも青筋立てているドイツ人や日本人をおちょくっているようです。イタリア兵は戦場でも驚くほどヒューマンです。そして調子がいい。生き残るすべを知っているのでしょう。第二次大戦でも終始要領よくというか、勝つ方についていっています。
 第二次大戦への参戦を決めたのが、フランスがドイツに敗北する直前、バスに乗り遅れるなと火事場泥棒で参戦しています。ちゃっかりドイツのあとについて、パリジェンヌをナンパしまくり、フランス料理食いまくり。それからもドイツにとってはお荷物でしかなかったでしょう。たびたびイタリア軍救出に出動しています。戦争終結時のイタリアは複雑きわまります。
 アメリカなどの連合軍が1943年7月イタリア・シシリー島に上陸します。ゲンキンなもので情勢の不利を悟ったイタリア国王はムッソリーを解任しパドリオ将軍に政権を任せます。山荘に幽閉されたムッソリーニをドイツのスコルツェニー中佐たちがグライダーで急襲し、救出したのは映画「鷲は舞い降りた」でも有名です。こんな作戦を成功させるドイツ人やはりはすごいです。自国領で少数のグライダー部隊にけ散らされたイタリア軍は相変わらずへたれですが。
 9月には連合軍がイタリア本土に上陸します。時のパドリオ政権はあっさり降伏し、今度はドイツに宣戦布告、変わり身の早いこと。まだ日本もドイツも激戦中です。激怒したヒトラーは何とイタリアを占領、かっての日独伊三国同盟はめちゃくちゃです。ドイツはしぶとくムッソリーニを首班に別の政権を作りイタリアは内戦状態におちいります。イタリアのパルチザンはムッソリーニ全盛の頃から、レジスタンス活動をやっていたのですが、ここに連合国と提携しドイツと戦います。不利を悟りスイスに逃げようとしたムッソリーニを捕獲したのはパルチザンであり、直ちに処刑されムッソリーニの遺体はミラノの広場に吊されます。かくしてイタリアは解放され、ちゃっかり戦勝国の地位を得たのです。戦後イタリアンリアリズムの映画が多く作られました。「無防備都市」も忘れられない映画です。神父がパルチザンを支援し銃殺されます。イタリア兵は神父を殺せずわざと的を外します。ここにも「神を信じるもの 信じないもの」の連帯がありました。

★ 「さらば恋人よ」 今なお歌い継がれるパルチザン歌

 これがイタリア人の哲学なのでしょう。調子のエエこと。ナチスより早くファシズム体制をとり、ドイツが強いときは尻馬に乗り、負け出すといち早くドイツに宣戦布告。ドイツは何度もイタリアを助けており同盟国と言うよりドイツの足を引っ張ったようなものです。
 イタリア人は最もファシズムや戦争には遠い民族なのだと思います。それがあのように結集したのはムッソリーニの大言壮語が生んだ幻想に酔わされたからでしょう。それだけ国民は貧しく打ちひしがれていたのだと思います。ドイツも全く同じ、第一次大戦の敗北による地獄を何とか脱出したかったのだと思います。貧しさは戦争に結びつく、大きな歴史の教訓です。
 集団で戦う戦争は上記のように信じがたいへたれですが、個人個人の意思による戦いは目を見張るものがあります。パルチザンは厳しい戦いを何年も続け多くの民衆が命を落としています。こんな歴史はドイツにも日本にもありません。華美な軍服で戦場にワインや豪華なイタリア料理を運び込んだイタリア人も一人一人の意思による戦いでは驚くほどストイックに戦い抜いています。それが本当の人間の強さなのでしょう。
ヘタリア 万歳!
 「さらば恋人よ」はパルチザンに歌い継がれた歌です。もともとは古いイタリアの民謡のようですが、悲しみを込めたとてもいい歌で大好きです。ピアノの演奏曲がありましたので、しばしご鑑賞ください。日本でも一時はやりました。今でも世界中でその国の言葉に翻訳され、民衆の戦いのあるところ歌われています。
 Bella Ciao で検索されれば歌入りのがたくさんあります。

  
ある朝目覚めて さらばさらば恋人よ
  目覚めて我は見る 攻め入る敵を
  われをも連れ行け さらばさらば恋人よ
  つれ行けパルチザンよ やがて死す身を  
  いくさに果てなば さらばさらば恋人よ
  いくさに果てなば 山に埋めてよ

  埋めてやかの山に さらばさらば恋人よ
  埋めてやかの山に 花咲く下に

  道行く人々 さらばさらば恋人よ
  道行く人々 その花賞でん


 
2010.05.15 / Top↑
★ シャンソン「赤いポスター」です。歌うアナーキスト、レオ・フェレが曲をつけ歌っています。いい歌です。「私のメリネよ 愛するメリネ…」と歌いながら泣いています。なぜいい年のおっさんが泣きながら歌っているか記事を読んでいただくとわかります(^_^;)。このような歌を愛し続けるフランス人を心から尊敬します。フランスの詩人アラゴンの言うように今なお「神を信ずるものも 信じないものも」マヌキアンたちを人間の誇りにしています。隣のパン屋のおじさんが、カフェのお兄さんが命をかけて闘いました。当時の実写画像が生々しいです。



   神を信じた者も
   信じなかった者も
   ドイツ兵に囚われた あの
   美しきものをともに讃えた…   ルイ・アラゴン


 記事は1通の遺書と遺書をもとに創られた詩です。説明はできるだけ少なくして、原文そのものを読んでいただきたいと思います。ナチスに占領されたフランスで、レジスタンスに挺身し処刑された人の記録です。ギー・モケは処刑時、わずか17歳、まだ子供です。ほんとうに驚嘆します。銃殺を前にこの若さで、家族と同胞を思いやり死んでいきました。一方はミサク・マヌキアン、フランスで抵抗運動に命を捧げますが彼はアルメニア人です。妻に、わたしの死後は幸せにできる人と結婚し、子供を産んでくださいと訴え、ただただ残されるものの平安を願う精神の高貴さ、わたしの惰弱な心を打ちます。

★ 僕の子どもの心にあるすべてを込めて… ギー・モケ 

 
guiギー・モケの手紙は最近フランスのサルコジ大統領が愛国教育に利用しようと高校での朗読を半ば強制し、ニュースになりましたのでご存じの方もいると思います。しかしそこはフランス人、歴史的背景の説明なしに手紙だけを強制することに多くの教員・高校生が反対しました。ギー・モケを最大に評価しているにもかかわらずです。さすがと思います、フランス人に強制は禁物それにしても日本で言えば首相が小林多喜二の手紙を強制するようなもの、考えられないです、というかフランスに「愛国者」は左翼しかいなかったのでしょう。
 ギー・モケは1940年、パリで反ナチスの非合法ビラを配布しているとき逮捕され翌年、26名の共産党系同士と共に処刑されます。わずか17歳です。「最後に。あなたたちすべてが、わたしたちに、これから死んで行く27人にふさわしい存在であり続けてください!」、精神の高貴さに深く頭を下げます。伝えられる話では彼は処刑直前、失神したそうです。さもあらんと思います。写真のようにまだかわいい坊やです。「僕は生きたかった」、「勇気を出して!」、本当にむごいです。彼のやったことはただビラを配っただけです。いかに気を張って死にむかったことでしょう。処刑される夫に会いに来た女性がギー・モケのあまりの純真さに身代わりを申し出たという話も伝わっています。彼の父もレジスタンスに身を投じ投獄されています。現在もフランスの多くの駅や通りに彼の名がつけられ、その精神が伝えられています。

「僕の大切なお母さん
 僕の大好きな、可愛い弟
 僕の愛するお父さん

 僕はこれから死ぬのです!僕があなたたちに、なかでもお母さん、あなたにお願いがあります。それは毅然としていてほしいということです。僕は毅然としています。そして僕の前に殺された人たちと同じくらい毅然としていたいのです。もちろん、僕は生きたかった。でも僕が心から願うことは、僕の死が何かに役立ってほしいということです。僕にはジャンに接吻する時間がありません。僕のふたりの弟、ロジェとリノには接吻しました。しかし本当にはできません。ああ!僕の身の回りのものすべてが、お母さんに送られることを望みます。それはセルジュに役立つでしょうから。僕はセルジュが、ある日それを持つことを誇りに思うことを願っています。お父さん、あなたに。もし僕がお母さんを悲しませたと同じくらいお父さんを悲しませたとしたら、僕は最後にもう一度あなたに別れの挨拶をします。あなたが僕に指し示した道を、僕は最善を尽くして歩いてきたということをわかってください。
 最後の別れを、僕のすべての友達に、僕が大好きな弟に。(立派な)男になるように、しっかり勉強をするように。17年と半年、僕の人生は短かったけど後悔はしていません。僕は叔父さん、ミッシェルと一緒に死んでいく。お母さん、僕があなたに望むのは、僕があなたに約束して欲しいのは、気をしっかりと持つこと、そして悲しみをのりこえることです。
 もうこれ以上書けません。僕はあなたたちみんなに、おかあさん、セルジュ、お父さん、
僕の子どもの心にあるすべてを込めてあなたたちに接吻をしながら、僕は去って行きます。勇気を出して!
  あなたたちの愛した、あなたたちのギィより。
                   ギィ
  最後に。あなたたちすべてが、わたしたちに、これから死んで行く27人にふさわしい存在であり続けてください!

                                           (翻訳 jeanvaljeanさん)

★ 人生よ 光よ 風よ これが最後の別れだ

 アルメニア人
も迫害の歴史を持っています。ノアの箱船が流れ着いた430PX-~1という伝承を持つアララト山のある西アジアの国ですが第一次大戦時、トルコにより100万近い人々が虐殺されたと言われています。ミサク・マヌキアンはアルメニア人です。虐殺で父を失った彼はフランスに渡り共産党員として対ナチス・レジスタンスに挺身します。しかし逮捕され同士23名と共に銃殺されます(動画にも出てくる女性1名は斬首)。彼らは目隠しも拒否し「フランス万歳!」と叫びながら死んでいきます。フランス解放、わずか1年前です。処刑されたのはフランス人は3名だけで、あとはスペイン人やイタリア人などでした。国際的に連帯してナチスと戦っていたのです。
 のちにルイ・アラゴンはミサク・マヌキアンと共に処刑された22名を悼んで「赤いポスター」の詩を書いています。その後、レオ・フェレにより曲がつけられ、今なおフランスで広く愛されています。彼の名もパリの通りに残っています。
 彼は妻に手紙を残しています。「死ぬ瞬間、私はドイツの民衆にも誰にもいかなる憎しみも持たないことを宣言します」、「愛するメリネ、愛する孤児メリネ…戦争の後、必ず結婚して、私の幸福のために子どもを産んでほしいと私はきみにお願いします。そして、私の最後の望みをかなえるために、きみを幸福にできる人と結婚してください」、死を前にこれほどの手紙を書けるのです。言葉が真に生きるとはどのようなことか痛感します。
 ミサク・マヌキアンの最後の手紙をもとに歌われた「赤いポスター」の一節です。

「皆に幸いあれ、生きのびる者たちに幸いあれ
私はドイツの人々への憎しみはいだかずに死ぬ
苦しみよ 喜びよ 薔薇よ これが最後の別れだ
人生よ 光よ 風よ これが最後の別れだ
後々エリヴァンで何もかもが終わったとき、
きみは美しい現実世界にとどまるのだから
結婚し 幸せになり ひんぱんに私のことを思い出してほしい
冬の大きな太陽が丘を照らしている
自然はなんと美しいのだろう しかし 私の心は張り裂けている
しかし 正義がわれわれの勝利の歩みの上にやってくるだろう
私のメリネよ 愛するメリネよ 私の孤児よ
どうか生きて、子どもを産んでほしい」

              (ルイ・アラゴン 翻訳 村野瀬 玲奈さん)

※ おまけです。詩と曲を作り歌うレオ・フェレ、77歳でなくなる前まで意気軒昂。おフランスのシャンソンと違いシャンソンのパンク、やっぱ顔が不敵にアナーキー(^_^;)
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2010.05.13 / Top↑
★ 「ずばり解決3つの処方」、解決するでしょうか(^_^;)。まあ、世にあふれる「あなたを幸せにする12の処方」なんたらいう本よりはるかに目から鱗がボロ落ちしたのは間違いありません。3つのうち、どれを選ぶかはもちろん自由ですが、どれもきついです。だがこれも人間の運命とあれば受け入れるしかない。抽象的で浮世離れしているような”哲学”が実際、生きる強い指針になることを実感しました。かってフランクルの「夜と霧」と共に大きな影響を受けた著作について書きます。 

★ 意味なき世界に人間は死に物狂いで意味を求める

 499PX1今はほとんどかえりみられませんが、アルベール・カミュ(ウィキペディアへ・1913~1960)というフランスの作家がいます。「異邦人」などの小説で一時は世界的に流行し、戦後最年少でノーベル文学賞をもらっています。評論集に「シーシュポスの神話」というのがあります。ご存じの方は多いと思いますがシーシュポスはギリシャ神話のアンチ・ヒーローです。神の怒りを買い、大岩を山の頂上に運び上げる”仕事”を永遠に課されています。頂上に運び上げた大岩は直ちに転げ落ち、シーシュポスは再び運び上げねばなりません。それが未来永劫続くのです。それほどの罰を受けるシーシュポスが何をしたというのか。火を人間に与えたプロメテウスも永劫の罰を、神ほどのマゾはおらんです。
 180px-Sisyphus_by_von_Stuckカミュは人間は不条理を生きるシーシュポスだとしています。意味のない岩の運び上げを永遠に課されたシーシュポスの罰が人間の罰だと言います。わたしは本当に強い影響を受けました。キリスト教や仏教などに救いを求めたこともある人並みの迷える青春でした。
 当時実存主義が流行していました。カミュやサルトルは大きな影響を与えます。世界に調和を求め意味を求めてきた西洋哲学、宗教の根本的な転換でした。調和なく、意味なき世界に、死に物狂いで意味を求める矛盾―この矛盾が不条理―に引き裂かれた人間の哲学です。自由=孤独=決断の思想でした。
 カミュはシーシュポスを人間の英雄としています。無意味な神の罰にたじろぐことなく、毎日毎日転げ落ちる大岩を頂上に運びます。”これでよし!”、泣き言も言わず運命を受け入れ、雄々しく顔を神に向けび運び上げます。抽象的な議論でなく、報われない労働に追いまくられ疲れ切った多くの人、理不尽な病気に長く苦しむ人などなど、不条理はこの世に満ちています。
 色んなものをかじってこの世界に本質的な意味のないことは信念となっています。人間は無意味な世界に無意味に投げ出されているのです。しかも有限の命と共に。しかしそれでも無意味な世界を無意味な行動で雄々しく人間は生きるべきである、それが本当の人間の自由であるとの思想は今も変わりません。意味を見いだすのはおのれしかいません。おのれがおのれだけの意味を作り出すのです。人が、神がどう思おうと知ったことではありません。シーシュポスは何のために岩を押し上げるかは考えず、きっと押し上げること自体に意味を見いだしたのでしょう。
 Kierkegaardカミュも実存主義哲学の先駆と言われるキルケゴール(ウィキペディアへ・1813~1855)も期せずして同じことを言っています。無意味な生から逃れる方法は3つある一つは自殺、一つは信仰、そして今一つ、無意味を敢然と受け入れる。自殺は不条理に同意すること、負けることと二人とも否定しています。カミュは「生に追い抜かれてしまったと、あるいは生が理解できないと告白する事」だと述べています。キルケゴールは第二の道を選びました。「不合理故にわれ信ず」という言葉があるように、おのれのすべてを投げ出し神に救いを求めました。信仰は論理からの跳躍、キルケゴールは自ら決断し神に賭けたのです。400年近く前すでにパスカルは「理性によって神は認識できなくても、神が実在することに賭けても何も失うことはなく、むしろ生きる意味が増す」と述べています(「パスカルの賭け」)。
 自殺願望につかれていたカミュは第三の道を選びます。フランスの植民地アルジェに生まれ、父は幼いころ戦死、母は聴覚障害者であり、極貧の生活、自身も若い頃大病で生死をさまようという文字通り不条理に生きました。しかし彼は多くの作品を書き、ナチスに対するレジスタンスに身を投じ、精一杯おのれの生きる意味を探りました。わずか46歳で交通事故死という最後も不条理きわまるものでした。
 みなきつい道ですが第三の道もこたえます。英雄的なシーシュポスの労苦に比べたら子供だましでしょうが、わたしも運命を受け入れせめて小石なりと運び上げねばと思っています。水と食料はたくさん持って(^_^;)

★ ごまかさず矛盾を見つめ そしてなお生きよ!

 神の存在は証明不可能であることは200年以上も前にカントが精密に論証しています。逆に神のいないことも証明不可能です。
いつか書きましたように(「悪魔の証明」)ないものをないと証明することは論理的に不可能です。結局人間にとりどうでもエエのです。ただ先に書きましたように自ら選び取る信仰は人間の自由な決断です。
 宇宙の整然とした美しい動きはわたしも信じられぬ驚異です。しかしそれも数百億年の宇宙の動きが自ずから定まったものであると思えば、「神の一押し」を考えることは何も必要ありません。宇宙に引力があれば星が球体になり、星の軌道が定まることも当然です。命の発生は実験室でさえ再現可能です。また、
これも前に書きましたように(「CP対称性の破れ」)、逆に宇宙はきわどい差で存在していなかった可能性も大きいのです。宇宙そのものが無意味に投げ出されているのです。また万一、神が宇宙を動かしているとしても、個々のはかない、ひ弱な、哀れな人間にとり何も意味のないことです。
 この世に意味を与えるのはやはり、神、絶対の存在者でしょう。それがないとすれば、いやあっても人間にとり無意味だとすれば、あとはおのずと孤独に一人、「必死に生きるか 必死に死ぬか」しか残されていません。見返せ!不条理を!
 カミュは人間の矛盾―不条理をごまかすのではなくそれを見つめ、なおかつ生きろ!と人間を鼓舞します。暗闇から発するすばらしいヒューマニズムだと思っています。
 わたしが前回の「レナードの朝」で嫌いなのは医師が一人の人間に新たな”生”を与えたことです。いわば神となったのです。しかも明らかな失敗作でした。神がそうであるように医師は責任もとっていません。無意味に投げ出された人間一般と違いレナードは明らかに意味を持つように生み出されたのです。無意味に投げ出されたら、仕方なく大半の人間は死ぬまで生きるしかありません。勝手に意味を持たせた人間の意思で投げ出され、責任もとられることなく、たった一夏で闇に戻っていったレナードはやはり悲惨です。今、原作を取り寄せていますが実際はポーラという女性は原作にもなく映画の中だけに存在するそうです。そうだろうと思います。あんな物好きな女性が現実にざらにいるはずありません。しかし映画としてはポーラの存在に大きな意味があります。映画のレナードはポーラにつかの間の生きる意味を見いだしました。芸術作品は現実を超越する、そこはよくわかりすばらしい作品だと思っています。
 ただ、現実に存在したレナードは訳のわからぬうちに目が覚め、浦島太郎のように老いを嘆き、また訳のわからないうちに闇に沈んだのです。ほかの19名の患者と同じように意味を見いだすヒマもなく。ただ母だけに痛切な悲しみを残して。

 カミュの言葉です。まさに侮蔑によって乗り越えられぬ運命はない、絶望より怒りを!

「いつ終わるとも知れない責苦を嘆く日もあるだろうが、突然射してきた月の光や、足元に咲いた花に微笑む事もあるかもしれない。与えられた罰を嘆くのではなく、そのすべてを、岩さえも自分の所有物としてしまう。今、ここに在ることをそのままの状況で受け容れた時、かれは自分の運命にたち勝っている。かれはかれを苦しめるあの岩より強いのだ

「この神話が悲劇的であるのは、主人公が意識に目覚めているからだ。きっとやりとげられるという希望が岩を押し上げるその一歩ごとにかれをささえているとすれば、かれの苦痛などどこにもないということになるだろう。こんにちの労働者は、生活の毎日毎日を、同じ仕事に従事している。その運命はシーシュポスに劣らず無意味だ。しかし、かれが悲劇的であるのは、かれが意識的になる稀な瞬間だけだ。ところが、神々のプロレタリアートであるシーシュポスは、無力でしかも反抗するシーシュポスは、自分の悲劇的な在り方をすみずみまで知っている。まさにこの悲惨な在り方を、かれは下山のあいだ中考えているのだ。かれを苦しめたにちがいない明徹な視力が、同時に、かれの勝利を完璧なものたらしめる。侮蔑によって乗り超えられぬ運命はないのである

人にはそれぞれの宿命があるにしても、人間を超えた宿命などありはしない。ただ一つ、人間はいつかは必ず死ぬという不可避なもの、しかも軽蔑すべき宿命をのぞいて」

「死への絶望なしに生への愛はありえない」

「幸福とは、それ自体が永い忍耐である」

「意志もまた、一つの孤独である」

「重要なのは病から癒えることではなく、病みつつ生きることだ」

「ぼくはシーシュポスを山の麓に残そう!…このとき以後、もはや支配者をもたぬこの宇宙は、かれには不毛だともくだらぬとも思えない。この石の上の結晶のひとつひとつが、夜にみたされたこの山の鉱物質の輝きのひとつひとつが、それだけでひとつの世界をかたちづくる。頂上を目がけるその闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに十分たりうるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ

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