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★ ネパール・インド旅行記も最後です。読んでくださりコメントしてくださった方には大変感謝しています。
 今回、ほんとに上っ面を見てきただけで真実の姿など簡単にわかるものではありませんが、色々と思うことはありました。わたしの結論はやはりどんな豪奢な人工物も大自然の造形の前には色あせてしまうということです。大自然はけして人間に見せるためではなく、あれほどの造形を堂々と静かに存在させています。一方、人工物には人間のドラマが込められています。悲劇も喜劇も惨劇も、人工物を見るとついそんなことを考えてしまいます。タージ・マハールは確かに比類なき美しさですが、皇位を争い殺し合った兄弟のドラマはすさまじいものです。しかしなお、ただ一人の人間が他のすべてを投げ打ち、あれほどのものを建設した、それはやはり人間の意志、あこがれの強さを感じるものでもありました。人間の凍った夢がタージマハールなのでしょう。
 
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★ ムガール帝国 栄華のあと

 タージ・マハールの
P1010366あと、ジャハーン皇帝が幽閉されていたアグラ城へ行く。”赤い城”と呼ばれるように、ここも赤砂岩の見事な城である。しかし内部はタージ・マハールのように白大理石をふんだんに使い、イスラム調の彫刻や文様がとても美しい。タージマハールを見ながら最後の7年間、皇帝は何を思って生きたのだろう。アグラ城では何度か熾烈な戦いが行われた。無駄なく、合理的、堅固に作られているこの城も何度か落城している。
 
P1010370その夜はホテルの前のしゃれたカフェに入った。インドでレシートなどもらうのは少ないが、ここは明朗会計、ちゃんと印字したレシートもくれた。けして高くはないが、普通インド人はあまり入らないのだろう。しかし、こうして日本人がいつまで海外に比較的自由に行くことができるのだろうか。今回韓国人や中国人も見かけた。見るのは当然であるが、一昔前まで両国は海外に出ることは至難であった。かっての日本もそうであった。世界は変わっている、しがない日本人のわたしがこうして旅行に出られたことを本当に感謝している。いつかネパール人やインド人が多数日本を訪れるようになってほしい。
 翌朝、朝早くデリーを目指す。今日で旅行も終わりだ。
 
fumayu102まずフマユーン廟に行った。ムガール帝国2代皇帝フマユーンの廟である。この皇帝も波瀾万丈の生涯であった。政治・軍事嫌いのなかなかの文化人であったがそのため一時は帝国を追われ、ペルシャに亡命している。15年もの隠忍自重のあと大軍でインドに攻め入りデリーを奪還した。図書館の階段から落ちて死ぬという、文化人皇帝らしい最後だった。死を悼んだ妃がフマユーン廟を膨大な費用をかけ作り上げる。建物はごらんのようにタージマハールに似ている。まあ、金と力のあるお方は使い道に困るのだろう。金も力もなく色男でもない、あたい、死んだらその辺の裏山に灰をばらまいておくれ。さばさばそれで一巻の終わり!
 
RedFortその後レッドフォートへ行く。文字通りここも赤い城である。きわめて合理的、実用的に作られているが赤砂岩の色が厳しい美しさを見せている。セポイの反乱のあと、イギリス軍が接収し、そのことをインド人は忘れないのだろう、毎年8月15日の独立記念日にはインド首相がここでインド国旗を振り演P1010382説するそうだ。そう言えばタージマハールのドームの尖塔は金でできていたそうだが、イギリス軍が奪い去っている。何がジェントルマンじゃ、世界中から富を奪い去り、ドロボー、返せー。いかつい城の内部はここも白大理石に美しい花が描いてある。
 行きたかったガンジーの墓(ラージガート)に行った。墓と言ってもここにガンジーの遺骨は何もない。ヒンズーの教え
P1010388に従い彼の遺灰もガンジス川に流された。ここは彼の火葬の地でありそれを記念する碑である。彼の銅像でもあるのかと思ったら驚くほど質素であった。黒御影石にマリーゴールドの金色の花輪が美しい。小さな永遠の火がインドを見守っている。
 ようやくインド独立を勝ち取ったガンジーを待ち受けていたのは宗教対立であった。ヒンズー教徒とイスラム教徒の抗争は燃えさかり、ついにイスラム教徒はパキスタンとして分離独立する。この混乱で100万人もの命が失われたという。何のための宗教か。魂の平安を求める宗教が最大の殺戮の道具となり肉
P1010393体と魂を殺す。両教徒の和解を呼びかけたガンジーはヒンズーの狂信者に暗殺された。
 ここで食べたカレーは大変おいしかった。カレーとナンはやはりよく合う。
 
Qminar最後、クトゥブ・ミナールに行く。ムガール帝国以前のイスラム王朝である奴隷王朝(創始者は奴隷であった)の皇帝が1200年頃建設したものである。ヒンズー教の街であったデリーを徹底的にイスラム化し、この尖塔は勝利の塔と呼ばれた。多数のヒンズー寺院を破壊しその建材で建てたものである。高さ73メートル、今でも世界一高いミナレット(モスクの尖P1010396塔)である。先端まで精緻な彫刻が彫ってあり見るものの目を奪う。ヒンズー教徒にことさら見せつけたイスラムの勝利の塔であろう。

 ★ 今回思ったこと 世界は変わる

 すべての日程が終わった。
 あとはおみやげを買って帰るだけ。し、しかしである。最後までちょっと不愉快な思いを(^_^;)。おみやげは紅茶に決めており、紅茶のいい店に連れて行ってくれるようガイドには何度も頼んでいた。しかし、連れて行ったところは絨毯の店、アホか。こんなもん、どうやって運ぶ、送るとしても日本に着くまで気が気ではない。紅茶も隅の方においてあった。聞いたら一箱、4000円(^_^;)。冗談ではない、途中数分の一で同じものをいくつも売っていた。日本人、どこまでなめられる。即座に店を出る。ガイドにも相当のバックペイが行くのだろうが、とぼけたふりは腹が立つ。車の中でも「給料だけでは生活できない。チップやオプションツアーが収入源」とかぬかす。キョーハクするの。プロの仕事はそんなもんじゃないでしょう。耐える美学など無縁らしい。そして最後の最後まで(^_^;)。最後のチップ、ガイドが紙に書いて渡したとおり払ったのに、「足らない。この2倍」と。断固断った。
 
 イスラムもそうだがヒンズーにも「バクシーシ」の思想がある。「富めるも
P1010235のは貧しいものに施し、それが功徳にもなる」ということである。だから、施しを受けても普通感謝はしない、むしろ施した方に功徳を与えたのだから感謝するのは施した方となるのであろう。この考え、理解できる。確かに古来「バクシーシ」は一定の社会的安全弁になっていたと思う。だがいつも建前と現実は違う。観光に訪れる外国人にこれを求めるとちょっとおかしな風になる。わたしは確かにインドの多数の民衆から見れば「富めるもの」であることは否定しない。しがない日本のおっちゃんでもそうだろう。本当に難しい問題だと思う。しかし大半の日本人も乏しい家計と休暇を何とかやりくりして旅行に行っている。一人に施せば多数が寄ってきて収拾もつかなくなる。いつか非難されたがまだまだインドもネパールも貧しいのが現実である。観光は大きな産業であり行くこと自体でかなりの貢献はしているのだろう。上にも書いたようにいつの日か両国から多数の人が日本を観光することを願ってやまない。その頃、もし日本の立場が逆転していたら、日本人にまたしゃかりきにがんばってもらうしかない。それが歴史の宿命なら致し方ない。いや、高望みせず身の丈にあった新たな価値観を日本人が身につけていれば無理することもない。お牛様のように身を焼く焦慮も絶望もなく毎日をゆったり生きていければそれでいいのだろうと思う。

 難しいことの口直し。ヒマラヤはすばらしかった。皇帝もコジキも所詮、人間、つかの間の夢、ヒマラヤの一呼吸。「来るな」と言ってもまた必ず行く!
 読んでいただき本当にありがとうございました。m(__)m

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2010.03.31 / Top↑
★ 旅行記も今回で終わるつもりでしたが、タージ・マハールの美しくも哀れな物語に力を入れすぎ(^_^;)、もう一回、延長です。いつも読んでいただき大変感謝いたします。
 前にも書きましたがインドでヒンズー教の聖地、ベラナスに行かなかったのは残念でした。回ったのは城塞や宮殿がほとんどです。かってのムガール帝国の栄華を偲ばせるものばかりでした。豪勢さは目を見張りますが、ヤボは承知でつい当時の庶民のことを考えます。今回の記事の建築物、ほとんどが世界遺産で文化財としてはとても貴重ですが、やはり皇帝の下、民衆が苦しむ時代は二度と来てほしくないものです。タージ・マハール、日本でも有名ですが、わたしは宮殿だと思っていました。あれは皇帝が亡き妃のために作った廟、つまり墓なのですね。”世界で最も美しい墓”だそうですが本当にそう思います。壮大なロマンの物語もあります。そして人間を超えようとして超えられなかった皇帝の悲劇が込められた墓でもあります。
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★ 亡き妃に 国を傾け築いたタージ・マハールP1010300

 翌朝早くアグラ(アーグラ)に向かった。 ルームサービスの朝食。まあよく見たらあまり原価はかかっていないけれど、卵がおいしい。ミルクたっぷりのチャーは元気が出そうだ。新聞紙もアイキョー(*^_^*)。アグラはジャイプールから220キロはある。地図で見たらすぐ隣のようだがさすがインドは広い。P1010307ハイウエイをどんどん飛ばす。
 アグラは古都である。日本で言えば京都の感じだろうか。ムガール帝国は長い間ここに首都をおいた。途中、ファテープル・シークリーに寄る。ここも一時首都がおかれた。しかし具合が悪く、たった14年でアグラに戻っている。すべて皇帝の仰せのまま。トップのドームなどやはりイスラム風である。B6a_agra700
 タージ・マハールに到着した。入り口の門からして壮大で美しい。荘厳な雰囲気である。門が花嫁のベールで門を入ると美しい花嫁が顔を現すような設計になっているそうである。本当に心憎い演出だ。ta-jimaharu102門を入り、タージ・マハールが目に入る。やはり驚嘆した。抜けるような青空ではなかったが、かえって乳白色の空にとけ込んだ白亜の宮殿が周囲の緑と調和し空に浮かんでいるようである。珍しくチリ一つなく整備されている。近づくほどにそ728px-Taj_Mahal_in_March_2004の巨大さに驚く。インド人ももちろん多数参詣している。基壇からは土足厳禁、靴は持って行くか預けねばならない。暗い廟内に入ると、宝石の透かし彫りに囲まれ撮影はできないが、皇帝と妃の棺が並んでいる。廟全体が白大理石で作られている。2万人の労働者が22年かかって作り上げた。延べ人数は膨大である。至る所に宝石が埋め込んであり、アラベスクの精緻な文様が彫り込まれている。P1010332宝石はペルシャ、アラビア、中国、チベットなど世界中から集められた。白大理石はインド各地から1000頭もの象で運ばれた。ムガール帝国文化の精髄である。タージ・マハールには人間のあこがれと悲劇が込められている。

★ ”白く塗りたる墓” 皇帝のあこがれと悲劇 

 タージ・マハールを築いたのは17世紀のムガール帝国第5代皇帝、シャー・ジャハーンである。彼の時代、帝国は栄華を極めた。妃はペルシャ系のムムターズ・マMumtaz_Mahalハル、タージ・マハルは彼女の名から取られている。絶世の美女だったのだろう。イスラム教ではご存じのように4人まで妻を持つことができるが、皇帝は妃にベタ惚れ、尻に敷かれていたのかどうか知らないが、ほかには目もくれない。愛の証しが14人もの子供。しかし産みすぎかどうか、妃は最後の子のお産で亡くなってしまう。まだ36歳だった「死後、妃はもらわないで」、「美しい墓を作って」との言葉を残し。まー、なんちゅうことを言い残す、けれど皇帝は忠実に言葉を守る。嘆きがものすごい。ずっと部屋にこもり、髪もひげも真っ白になり、国は2年もの喪に服した。
 人間の欲は限りがないと思う。皇帝は欲望の限りを許された希有の人間。戦争で生涯を送るもの、漁色で身を崩すもの、学問を極める珍しい皇帝もなかにはいるが、とにかく人間の極限を極めることが許される。ドイツのルードヴィヒ2も狂気の城作りで国を傾けるが、ジャハーン皇帝も妃の死後、いわば狂気に陥ったと思う。四方から見て同じ形、完全なシンメトリーのタージ・マハール、整然とした狂気、精緻の狂気、人間離れした一種不気味な美しささえ感じる。皇帝は白亜のタージ・マハールと川を挟んだ対岸に黒大理石で自分の廟を作る予定であった。白と黒の廟を橋でつなげ永遠の愛を結ぶつもりであった。皇帝には妃とおのれの魂の平安しか頭にはなかったのであろう。これが狂気でなくて何であろう。しかしこの計画は息子により阻止される。建設は帝国にとっては鬼門であった。国庫は貧しいものとなり、国も乱れた。二人の愛の証しである息子たちが皇位を争い殺し合う。皇帝が後継者に指名した長男は、3男に殺され遺骸は街中を引き回され、首は切り落とされ何と皇帝の元に送られる。人間を超えた夢は必ず復讐されるのであろう。聖書に”白く塗りたる墓”という言葉がある。人間の虚飾と偽善を撃ったイエスの言葉である。”パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまの穢れとに満つ。斯くのごとく汝らも外は正しく見ゆれども、内は偽善と不法とに満つるなり”。タージ・マハールはまさに”白く塗りたる墓”である。
 P1010356皇帝となった3男は、ジャハーン皇帝をアグラ城に幽閉する。命を取らなかったのがせめてもの温情か。ジャハーン皇帝は幽閉された城から毎日タージマハールを望んで涙に暮れた。彼には黒大理石のおのれの廟もきっと見えていたと思う。この世のすべてを放棄した彼に、幻の二つの宮殿が天上の夢のように美しく輝いていた。
P1010331 7年の幽閉後、ジャハーン皇帝は寂しく世を去った。ただ一つの願いは、彼が信じた復活の日まで妃の横にタージマハールで眠ることであった。息子の皇帝はこの願いはかなえてやった。
 ヒンズー教徒は墓は作らない。それに比べ何と豪奢で華麗な墓であろう。美しいタージマハールも、ピラミッドのように人間の愚かさの象徴に見えないこともない。地上で栄華を極めた者は天上でもそれを続けようとする。人間はやはり、縛るものがないととてつもなく強欲な動物だ。
 けつろ~~~ん!。皇帝もマハラジャもやっぱ人間、ろくなことはないですなー。やっぱ来世はお牛様、口をくちゃくちゃさせとけば一生が終わる、墓なんぞクソの役にも立たない。お牛様~~~!

 
(下2枚の画像。上は皇帝の幽閉塔から見たタージマハール。下は廟内の二人の棺安置所。ダイヤも埋められ暗闇でも光る設計)
2010.03.28 / Top↑
★ KOZOU、象に乗る、いい年こいてアホかとお思いでしょう(^_^;)。P1010246インドの旅行は象で始まりました。前回の記事でしっかり、おベンキョーされた方は(笑)ご存じのように、かってのムガール帝国は大きな力を持っていました。支配者はイスラム教、民衆は根強いヒンズー教徒、変則的ながら一時は全インドさえ支配します。いわゆる観光地は帝国時代の城塞や宮殿が多いです。すべてがもちろん石作り、城でさえ木と漆喰で作った日本文化との違いを痛感します。そして豪華絢爛、帝国の権力を思い知ります。
 像はすべてクリックで拡大します)

★ お牛様に生まれ変わるのは取り消し! ぜひマハラジャに

 朝早く、インドのガイドさんが迎えにき、デリーの南西260キロのジャイプールへ向かう。ムガール帝国の旧都である。車は快適にハイウエイを走っていく。ハイウエイといっても高架ではなく普通の道路で交差する道にはお牛様がのんびり草を食べている。ガイドさんは若く日本語はかなりうまい。途中アンバー城に寄る。ジャイプールに遷都する前ここが首都であった。P1010252
 壮観である。ミニ万里の長城という感じで、街全体を高い城壁で囲んでいる。アンバー城は小山の頂上、象のタクシーで登る。まだよく覚えている。4歳くらいであったか、サーカスが来て象に乗せてもらったことがある。とてもうれしく怖かった。それ以来であり、おそらくこれが生涯最後だろう。悠々と、少し揺れるが快適、かっては帝国のマハラジャ(藩主)もこうして登ったそうな。しがない日本のおっさん、しばしマハラジャの夢(^_^;)。料金は当然前に払っているが、降りぎわ、高いチップを要求され半分に値切る。不満の象使いのおじさん、象にも威嚇させる。興ざめじゃ。インドではチップは感謝の気持ちではない。当然の報酬である。
 P1010269城は華麗であった。イスラム風というかペルシャ風の美しい絵画が城全体に描いてあり、透かし彫り、銀や鏡を埋めた部屋など、見事である。かっての栄華を十分しのばせる。
 街全体を城壁で囲むのは日本では見られない。中国も西洋も昔からそうしてきた。戦争に負ければ皆殺しを何度も味わってきたのだろう。日本では城兵さえ降伏すれば助けて自陣に組み入れることが多かった。よく言えば温情、悪くとれば日本的あいまいさなのだろうが。
 コブラがいた。また偏見とおしかりを受けそうであるが(笑)、漫画とかではターバンを巻いたひげのおじさんが笛を吹きコブラを踊らせる、まさにその通り、絵に描いたような光景であった。コブラさん、お疲れー。P1010276あんまり見てると料金取られそうで早々と撮り逃げ(^_^;)。コブラよりおじさんの「マニー!」が恐い。インドに行けば日本人、たくましくなりまっせー。
 その後、ジャイプールの街に向かう。18世紀、帝国の首都があった街で街全体を10キロに渡り城壁が囲んでいる。城壁も建物も赤砂岩で作られ、それにあわせ街全体をピンク色に塗っている。ピンクシティと呼ばれるが、別に風俗店は一軒もない。シティP1010284パレスと呼ばれるマハラジャの宮殿が残っている。鮮やかな赤色は目を見張らせる。宮殿の一部にマハラジャの子孫が今も居住しているそうである。巨大な水ガメが飾ってあった。全部、純銀である、マハラジャが地方巡行のとき、これでマハラジャ専用の聖なる水を運んだそうな。運ぶ民衆はおそらく汚い水で下痢気味が多かっただろうけれど(^_^;)。
 ついで風の宮殿というロマンチックな宮殿に寄る。ここも見事な朱色の宮殿が色あせず残っている。窓が多く風が自然に巡回し中は夏も涼しかP1010288ったそうである。今回思ったが石の建物は案外涼しいが、マハラジャ、この程度では満足しない。潤沢に水を床下に流し天然冷房した宮殿もある。風の宮殿はムガール帝国の大奥、ヒマな女官が今宵のマハラジャの指名を待って、窓からズラリ、街をながめていたそうな。まあ、”飾り窓の女”によく似ている。とにかくマハラジャは絶対の皇帝、女官もより取り見取り。前にインドのお牛様に生まれ変わりたいと書いたが取り消し!。生まれ変わりはぜひマハラジャに!(^_^;)。
 昼過ぎにジャイプールのホテルに着いた。かなり時間がある。ガイドはしきりにオプションを進める。タダなら行ってもいいけれど(^_^;)。インディアン・ダンスショーとかだが驚くほど高い。街をブラブラ歩くのが一番おもしろいし、ゼニもいらない、丁寧に断って子供と街に繰り出す。大きな街ではないのだろうが車と人は本当に多い。信号はまず見かけない。人も車も実に巧みにそれぞれを避けて動いている。警笛は相変わらず、かしましい。混乱の中の調和というか、滞在中には1件の事故も見なかっP1010298た。そしてお牛様、堂々と車の前を横切っている、脱帽、平伏、合掌、ご祈祷、さすがお牛様。
 子供とかなり距離があるが天文台(ジャンタル・マンタル)まで歩いた。マハラジャが作ったものである。巨大な日時計がいくつも並んでいる。インド人は古代から数学的才能を誇った。イスラムも中世までは科学、医学など西洋を凌駕していた。その精華である。日時計はなんと秒単位まで計れる正確なものだそうだ。ただ、これはP1010294あくまでマハラジャ専用、民衆に時を知らせることはなかった。マハラジャは人、物だけでなく時間まで占有したのだ。
 だいぶ歩いて疲れた。シャワーを浴びその日も早く休んだ。次はいよいよタージマハール。次回で最後です。
 読んでいただき本当にありがとうございます。
2010.03.25 / Top↑
★ いつも読んでいただきコメント大変ありがとうございます。ネパール・インド旅行記ですが今回はちと堅いです(^_^;)。前回の記事に”嬉しい”コメントがありました。最低の評価にした上で最後は”ヒマラヤに来ないでね”、もちろん匿名でURLもありません。気づいて即、消しましたがIPアドレスはもちろんわかります。今はいろんなソフトがあり、そのおかげでドコモのiモードを通じて書いていることもわかり、ほぼ特定もできたと思いますがこれ以上は書きません。今はコメント禁止にしています。わたしの記事、もちろんおかしなところもたくさんあるでしょう。短いブログで気持ちを全部書けるはずはありません。おもしろく書こうと表現が時に露骨になることもあります。また文章には反語、逆説、誇張などもあり文の真意は読む人の感性によることが大きいです。わたしは記事の間違いの指摘や異なった感想ももちろん歓迎です。今までそれで訂正したことも何度かあります。読んでいただいた上でちゃんと名乗り、こちらから連絡もできる方のそのような善意の指摘は大歓迎です。それでわたしの記事が少しでも豊かになればわたしも嬉しいです。そうでなく、わたしなりに懸命に書いている記事にぽっと来て捨てゼリフだけ残すようなコメントは即削除し、今後はIPアドレスも公開します。気持ちのない者と議論する気は毛頭ないし、他の人も不愉快です。
 つまらぬことを書きました。ちょっと記事を書く気持ちがなえたのは事実ですがあんなものに負けられません。皆さんのコメントでは以上の記述にはふれないでください。無視が一番です。
 今回は教科書のようですみません。次回はまた楽しくインド珍旅行記を書きますので(^_^;) 

★ インドの簡単な歴史 絶えることのない異民族侵入 

 インドの歴史を簡単に。わたしも急遽仕入れたものですが(^_^;)
 よくご承知のようにインドは世界の4大文明発祥の地です。紀元前260Mohenjodaro_Sindh0年頃からインダス文明が栄えました。その頃の日本はまだ縄文時代真っ盛り、文明というほどのものはありません。中国といい、歴史の厚さには驚きます。インダス文明を担ったのは先住民族ドラヴィダ人ですが、紀元前1500年頃、今のアフガニスタン経由でアーリア人が進出し先住民族を征服します。(このアーリア人ですがかってはドイツが最良のアーリア人種と自称したように、ヨーロッパ人と起源を同じくすると言われました。しかし現在はほぼこの学説は否定されています。ただインド人が西洋系の彫りの深い顔であることはご承知の通りです)。現在のインド人はこのアーリア人、もしくはアーリア人と先住民の混血です。
 アーリア人がバラモン教を創始し、カースト制度の根源を作ります。バラモン教は後に民間信仰と結びつきヒンズー教になります。カースト制は先住民を支配する手段として作られました。ご承知のように仏教はインドで生まれ、ヒンズー教に押され衰退しますが、お互い大きな影響を与えあっています。
 インドへの異民族の侵入はとぎれることがありませんでした。12世紀にはまたアフガニスタン経由でムスリム(イスラム教徒)が侵入します。北インドはムスリム王朝が支配することになり、16世紀には同じムスリムのティムールの一族が侵入、ムガール帝国を築きます。ムガール帝国は強大で帝国時代の城塞や宮殿が多く残っています。
 17世紀にはイギリスとオランダが進出してきます。フランスも食指を伸ばすのですが最終的にイギリスの覇権が確立します。完全に植民地化したわけではありませんが、経済的にインドを支配し、安い機械織りの綿織物がインドに流入したりして、インド民衆は困窮します。教育もまったく施さず、現代インドにイギリス統治の傷はまだ大きいです。そして有名な19世紀中葉のセポイの反乱(現在は「インド大反乱」と呼ぶ)により、ムガール帝国は滅亡、イギリスのヴィクトリア女王がインド女帝になり直接支配します。有名なイギリスの「分割して支配せよ」の言葉通り、イギリスはインド国民をあえて分裂させ支配を続けました。宗教が利用され、イスラム教徒を優遇しました。のちのインドからのパキスタン分離はイギリス統治に淵源を持ちます。
 495px-MKGandhi第一次大戦後、有名なガンジーが台頭します。これも有名な非暴力・不服従運動によりガンジーの闘いは広くインド民衆に支持されていきます。ガンジーの粘り強い闘いでついに第二次大戦後、インドは独立を勝ち取ります。しかし上記のようにイスラム教徒との和解は進まず、イスラム教徒はパキスタンとして分離独立します。イスラムとの和解を説いたガンジーも狂信的なヒンズー教徒に暗殺されます。

★ 近いうちに世界一の人口 驚くべき潜在能力 

 狼皮のスイーツマンさんが大陸国家と言うことをコメントに書かれましたが本当にそう思います。数千年前から20世紀に至るまで、ほぼとぎれることなく異民族が進入し王朝は興亡を繰り返し、インドの民衆はそのたびに苦難を繰り返したと思います。
 有史以来他民族の侵入がなかった日本は世界的には希有の例でしょう。インドの人の鋭いまなざし、徹底した利益追求の態度は日本人にはちょっと怖いものがありますが、侵略と抵抗を繰り返してきたインドの歴史を思うとわかる気がします。異民族は敵か利益をもたらすものとしか見ることはできなかったのだと思います。現在、主な言語だけでも15種以上が話され、実際は800以上の言語がインドで話されていると言います。実際、紙幣には17の言語が書かれています。宗教もヒンズー教のほかに多様な宗教があります。日本の10倍近い広大な国土、11億を越え、もう20年もすれば中国を越え世界一の人口を持つと言われるインド、国を安穏に治めるのは本当に難しいと思います。
 しかし現代インドの経済発展はめざましいものがあります。BRICS(ブリックス―ブラジル・ロシア・インド・中国)の一員として注目されています。わたしも中国と並びインドは今世紀中に日本も追い越すのではと思っています。人口の多いことは教育や医療、要するに社会が整えられたとき、驚異的な力を発揮します。ゼロを発見し現在もIT関連では世界的に活躍しているインド人、理数的な頭脳は特に優秀と言われています。歴史の皮肉と言うべきか、イギリス統治が現在インドの準公用語となっている英語を普及させ、世界に羽ばたく土壌を作っています。日本人が学校で何年も習ってもうまく英語を話せない(わたしもですが)のに、インドでは必要に迫られ都市のほとんどの人が英語は達者です。語学はやはりそれがいかに必要かで上達は決まるのですね。
 280px-Taj_Mahal_in_March_2004わたしを「発展した日本人」と呼んだお人、冗談ではない、日本は現に落ち目、長い目で見ればインドや中国の発展は明らか。そしてつい半世紀ほど前まで、日本も絶対的に貧しく、人の心も荒んでいたけれど、父の世代の血のにじむ努力で心は別としても、ようやく一応「豊かな国」になったのも事実。将来は何とか日本を保つ努力が国民全部に必要になるだろう。インドやネパールと共に豊かになれば言うことはない。
 次回から書きますタージマハール等、インドの有名な建築物はほとんどムガール帝国の遺産です。おもしろく書きますので今回に懲りず、よろしゅう(*^_^*)
2010.03.22 / Top↑
★ 今はネットとメールがあるから世界中、瞬時につながることができ、ほんとに便利だと思います。インドのガンジー空港にも有料でネットを見れる設備がありました。わたしのブログものぞいてみたのですが日本語フォントを入れていないため文字化けして何がなにやら。カトマンズもネットカフェがありました。30分、30ルピー(約30円)と安いです。しかし、電力事情が悪くほぼ毎日停電しています。電圧も弱く一定していないのでしょう。すぐに調子が悪くなり見られなくなりました。感心したのは何も言わないのにすぐに料金を全額戻してくれたこと、これがインドだったら多分知らん顔(^_^;)
 一度は行きたかったヒマラヤのマウンテンフライト、いやー最高でした。
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★ しばし天上の夢 マウンテンフライト 

 明くる日6時、ガイドさんが新しいガイドさんを連れてホテルのフロントで待っていた。このガイドさんがまたすばらしい。日本語は最高、難しい話にも応じ、落ち着いて本当に気に入った、この人と空港に向かう。マウンテンフライトはもちろん天候に左右され、安全第一で無理はせず毎日は飛ばない。朝からちょっと曇っていて心配だった。
 空港には多くの外国人がフライトを待っていた。国内線で第二の都市ポカラなどに飛ぶ飛行機と同じ空港、なかなか飛んでくれない。3時間は待った、その間ガイドさんは気を使い色んなことを話しかけ、あったかいミルクティーまで持ってきてくれる。
 P1010187飛んだ!あきらめずによかった。飛行機は30人乗りの小型機、小さくプロペラであるがエンジンはジェットエンジンの優れもの。二人座席にも一人しか座らせず全員窓際という贅沢を味わえた。
 ぐんぐん登っていく。眼下のカトマンズの土色の家と大地が見る見る小さくなっていく。5、6000メートルに雲があってもそれを突き抜ける。コバルトブルーの天上に純白のヒマラヤが延々と続く。興奮した。褐色の山肌は白銀に覆われやがて輝く白一色。歩けばエベレストのベースキャンプまででも2週間はかかるがわずか30分で、高度8000メートル、ヒマラヤの心臓部に達する。やはり人間の知恵はすごい。
 P1010200ひときわ優れたガウリサンカール、チョーオーユーと8000メートル級の山が地球を覆うように続いている。プモリの秀峰が美しい。見えた!エベレスト。ローツェ、ヌプツェの白く輝く城砦に守られるようにエベレスト南壁が黒い圧倒的な存在感で目に入る。切り立った壁は強風もあり雪の積もることはない。雪煙が数十キロにわたり悠々とたなびいている。写真を撮ることも忘れ見入った。機内の者は窓にすり寄り、感嘆の声を上げる。遠望したことはあるがこれほど間近に見るのは初めてである。じっと見ていた。ふいにこみ上げるものがあP1010203り、何度も目頭をこすった。前に書いたアメリカ女性フランシスさんのことを思い出していた。登頂をとげ頂上直下で一人取り残され凍死した彼女、あの神の山のどこかに今も朽ち果てず眠っているはずだ。きっときっと本望だったと思う。ヒマラヤの数十億年の歴史から見たら30年も100年も何の意味もない。柔らかい肌と感じやすい心を持ったフランシスさん、エベレストと共にあと数十億年、凍りついたあこがれを抱いて眠るのだ。地球のクズでしかない人間が自らの細い足であの高みを極めることができた、それだけで十分ではないか。あの壁を見ただけでわたしがもっと若くても到底登ることはできないことがよく理解できる。(左上の画像で奥のひときわ高い山がエベレスト、右下の画像では一番奥で雪煙を上げるのがエベレスト)
P1010211 クールな子供も興奮していた「これは写真ではとうてい表現できない」と言い、わたしは嬉しかった。そうなのだ、わが目にしっかり刻んでくれ。わたしが最も人生観を変えたのはヒマラヤだった。6300メートルのパルチャモという雪山に登ったとき、人間の矮小さと命なき世界の美しさに圧倒された。人間の存在に意味はない、しかしそれが自由ということなのだ。矮小な人間にも地球の尾根を極める意志とあこがれがある。永遠の地球に一瞬よぎるはかなく、切ない人間の夢。一瞬で十分ではないか。凍傷のためにわたしも左手小指の先、右耳の先っぽを失ったが得たものは比較にならないほど大きかった。
 P1010218夢のような1時間が過ぎた。満ち足りて空港に帰る。今日のうちにインドに戻る。ガイドさんと固い握手をしてホテルに戻った。急いで支度をして空港に行く。ネパールの二人のガイドさんに払ったチップは計、1000ルピーほど、パシュパシナート寺院のくそガイド要求の10分の一程度だ。少なすぎたかなー(^_^;)。さらばネパール、ヒマラヤと人、またいつか訪れたい。
 その日のうちにデリーのガンジー空港に着いた。インドのガイドが名前を書いて待っていた。まだ若い。車には彼の妹が乗っていた。話を聞くと彼はデリー大学の学生で日本語勉強中とのこと。来年には日本に留学予定であると語るがそれ以外の受け答えはどうもアヤシイ(^_^;)
 翌朝早く、デリーから250キロほどあるジャイプールまで行くはずであるがその話は全然ない。何時に迎えに来るのかと日本語で尋ねるがどうも意味が分かっていないらしい。漢字を3000語は知っていると豪語していたが、スケジュール表を見せても読めない。らちがあかず英語で話すように言うが、そもそも明日のことなどまったく頭にないようだ。
 ようやく理解できた。彼は現地のツアー会社が雇った純粋なアルバイトで空港からホテルまで案内することだけを言われているのだ。そんならそう言えばいいのに、明日は8時だとか6時半だとか適当に言い、チップだけはねばる。デリー大学生などもデタラメだろう、英語さえろくにしゃべれない。恐らく空港付近に家族で行き家に帰るついでにわたしたちを運んだだけだろう。もう、イヤー(^_^;)
 シャワーを浴びている間に子供に電話があった。本来のガイドからだ。日本語もちゃんとでき、明日は7時に迎えに来るとのこと。横着せずにちゃんとしてよねー。
 その夜は明け方3時ころからなにやらラジカセらしい賑やかなインド音楽が聞こえてくる。こんなに早くまさか踊ってはいないのだろうね(^_^;)公衆の迷惑という概念はインドにはないらしい。あーー、先がおもいやられるー。
2010.03.17 / Top↑

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