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20100127_1487015★ 「レナードの朝」、ストーリーは一見前に書きましたアルジャーノンに花束をに似ています。奇跡的な治療により回復した人がまた「もと」に戻っていく。大きな違いは「レナードの朝」は実話に基づいていることです。この映画は前に記事にしました精神科医、オリバー・サックスのノンフィクションをもとにしたものです。切ないを通り越してたまらないラストです。現実の残酷さが心に刺さります。作品としてはすばらしいと思います。「タクシードライバー」で迫真の演技のロバート・デニーロ主演、俳優の凄さも知りました。本当にすごい演技です。作品の受け取り方はもちろん人それぞれです。その受け取り方にその人の人生観が出るように思いました。レナードははたして幸せだったのか…

★ 短い「生」 すべてが愛おしく… (ネタバレです)

 今ではあまり見られないが、1920年頃
嗜眠性脳炎(いわゆる"眠り病")がアメリカに流行した。当時世界的に猛威をふるったインフルエンザの影響と言われるが原因は不明である。意識が全くなくなったわけではないが体を動かすことも話すこともできず眠ったままになる恐ろしい病気である。セイヤー医師(原作者オリバー医師)はこの”眠り病”の患者レナード(ロバート・デニーロ)に新薬の投与を決断する。ほかの同じ症状の患者に時に人間的反応があり、症状がパーキンソン病に似ていることもあり、パーキンソン病の新薬L・ドーパミンが効くのではと思ったのである。1969年のことだった。
 劇的な効果を発揮した。小学生の頃から30年、眠りっぱなしのレナードが奇跡的に目覚めた。30年ぶりの世界にうろたえ戸惑いながら目覚めるレナード、感動的なシーンです。喜んだセイヤー医師は同症状のすべてに投薬を行おうとする。正式に認可された薬ではなく病院は反対であったが理解者も少しづつ増えていった。
 レナードの母も感涙にむせび喜んだが、当初の感激が薄れたレナードは次第に戸惑いを多くしていった。30年ぶりの現実、かわいいイメージであった自分もしけた中年になっている。しかし失われた長い年月を取り戻すため精一杯人生を楽しもうとする。40過ぎた男の初めての青春だった。セイヤー医師も懸命にそれに応えようとする。レナードは賢い男で医学的にも自分のデータを生かそうとセイヤー医師に協力し、二人は強い絆に結ばれたようであった。
 しかし、破局は徐々に近まっていた。新薬の効果は恒常的なものではなく副作用ももたらしていた。レナードも痙攣やチック症が出てくるようになる。ほかの患者も同じで当初のセイヤー医師への感謝は反感に変わっていく。セイヤー医師も焦っていた。結局元に戻るのではないか。このまま投薬を続けるべきか。
 レナードは荒れてきた。もとの眠り病に戻る予感が彼を苦しめた。今度ははっきりした恐怖のもとに病を迎えるのだ。レナードは病院に父の見舞いに訪れていた女性、ポーラに淡い恋心をいだき話をするのが最大の楽しみだった。しかし、病状を察したレナードは断腸の思いでポーラに「会うのはこれが最後にしてください」と言う。心優しいポーラは彼の思いを察しダンスに誘う。病状が進むことは彼女も知っていた。レナードにとり生まれて初めてのダンスだった。ポーラにリードされ腰に手を回し踊るレナード、手の痙攣も収まっていた。
 彼女が去っていく。病院の窓から見送るレナード、体は痙攣していた。
 やがて彼は再び覚めることのない眠りに落ちていった。

★ 凝縮されたよろこび しあわせ そしてかなしみ

 ダンスシーン、映画史上指折りの名場面と言われます。確
lenardかに確かに、涙、涙です。お互いが心の内を知りながら口には出せず、一張羅を着込みぎこちなく踊るレナード、優しく笑いリードするポーラ、くーぅっ、こんな優しい人に生涯一度でいいからリードされたい(^_^;)
 しかし、しかしでござります。これほど残酷なことがあるのでしょうか。当初の発症は子供の頃、それこそ眠るように病に落ちたのでしょう。”眠り病”の30年も完全に意識がなくなるわけではないようですので考えたら怖いことですが、映画の中でレナードは「なにもなかった。死んでいたようなもの」表現しています。(また入らぬことですが、これは魂の不在も証明していると思っています。意識がなければ魂もないのです)。原作も読んでいないし医学的なことはわかりませんが、レナードの意識としては死からよみがえったのです。わずかな”生”のあと、今度は意識して”死ぬ”のです。ポーラが、母が、いやこの世のすべてのものがどれほど愛おしかったでしょう。現実のレナードのモデルの患者さんは1981年、完全に亡くなったそうです。
 確かにわたしたちすべては執行時期不明の死刑囚です。最後、きっとレナードのようにこの世のすべてを愛おしんで死んでいくのでしょう。レナードはそれを凝縮して極めて短期間で”生き”、”死んだ”のです。最初に述べましたようにこれから先の思いがその人の人生観で変わると思います。短期間に人の愛を、この世の愛おしさを知ったレナードはたぐいまれな幸せな人であったと思うこともできるでしょう。ポーラや母はその象徴、ポーラたちに深く感謝して眠っていったのかも知れません。人生結局最後は思い出でしょうから、追憶の結晶を抱いて別れを告げた、わたしもそう思いたいです。
 一方、「死んだように」眠っていたレナード、この世に再び”生まれ”、痛切な悲しみを抱いてまた眠りについたとも思えます。”生まれ”たのは悲哀と一人去る残酷な孤独を感じるためだったのか。この世を愛すればこそ別れいく辛さはたまらなかったでしょう。ポーラには狂いたくなるほどの未練も残したと思います。凝縮されているからこそ癒しの時間も成長もなかったでしょう。それが聖人ならぬ人間だと思っています。わたしなら起こしてもらいたくなかったそんな悲しみを知るため、まわりにも悲しみを残すため、突然切断される人生を知るためわざわざ起きたくはない、そう思います。
 読者の方はどう感じられるでしょうか。結局根本的な人生観によると思います。わたしの思いは結局、もともと生まれない方がよかったになるのはよくわかっています(^_^;)。自己嫌悪に落ちたセイヤー医師を優しいナースが慰めます。「命は与えられ奪われるもの」、この言葉をどう受け止めるか。わたしもまだまだ考えねばと思います。
 最後に、原作を読んでいないし、実際どうだったか知りませんが、少なくとも現代日本ではセイヤー医師のような投薬は明らかに違法でしょう。これも結果論、たまたま結果は悪かったのですが、ある程度の冒険なしに医学も進まないのは確かでしょう。ま、悪くとれば実験ですが。パイオニア精神を重んじるアメリカの風土を感じます。ただセイヤー医師の主観的な善意は疑いません。

※ 現代医学はEBM―根拠に基づいた医療(evidence-based medicine)が基本と言われています「良心的に、明確に、分別を持って、最新最良の医学知見を用いる」ことでエビデンス(臨床結果)に基づく医療とも呼ばれています。

※ 以下、ある医療専門家の方の記事から抜粋です。長いですので興味ある方のみお読みください。

 「映画を最初に見た時、レナードの状態が悪くなるにつれ、レボドパを増量するセイヤー医師に姿に、いたたまれない気持ちになりました。…それは現代の医療では相当問題のある投与法だからです。例えば、レナードが苦しめらる幻覚や不眠といった症状は、典型的なレボドパの副作用です。にもかかわらず、レボトパ(L・ドーパミン)を増量するのは、医学の進歩の過程としてはやむをえないとしても、その犠牲となったレナード達の患者への同情を禁じ得ませんでした。
…ところが、映画では、セイヤー医師の実験的な治療が断罪されることはなく、最後までセイヤー医師の「ヒューマニズムに溢れた」医療が賛美されるのです。
 これはいくらなんでもおかしい。原作者だって、おそらく、自分の過ちを断罪しているに違いない。映画監督やハリウッドの間違った脚色だ。…私は、やや憮然としながら、原作を紐解いてみました。
 しかし、原作を見ると、更に、驚く事実がありました。なんと、原作者であり、セイヤー医師のモデルであるオリヴァー・サックス医師は、映画のセイヤー医師以上に、現在からみると極めて問題のある「治療」を行っていたのです。具体的には、現代では禁忌とされているレボドパ大量投与や突然の投与中止が行われていたのです。サックス医師が著述した患者はしばしば突然死していますが、これはレボドパの大量投与による悪性症候群が原因と疑われる患者が少なくありません。セイヤー医師の治療は、現在からふり返ると、「人体実験」に近い行為です。
 …私は慄然としました。映画が間違っているのではなく、原作者そのものが自分を断罪していなかったのです。
 そういえば、映画の中では、レナードへのレボドパ投与量は最大1回1000mgまでしか増量していませんでした。現在わが国では1日投与が最大1500mgですから、欧米人を想定すると大きな問題とはならない量なのかな…と観ていた。しかし、原作ではレナードには1回5000mgも投与しているではありませんか。これを映画では敢えて1500mgまでしか増量していないのは、明らかにサック医師が「分かっていてわざと隠している」としか思えません。
 …この映画は、どうひいき目に観ても、原作者の「医療事故」は隠蔽するような内容になっているのがとても残念です。「熱意だけの医療は偽善と医療ミスしか産まない」として観てしまう私は、へそ曲がりでしょうか。
 …ところで、レナードの強烈なパーキンソン症候群の原因疾患である嗜眠性脳炎は、過去大規模な流行が何度もあったようです。しかし、なぜか1928年以降大規模な流行はないそうです。ということは、突然、また流行が起きるかもしれない…ということですね。
 本当に、感染症というのは、恐ろしいものです」

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2010.05.09 / Top↑
 「ショーシャンクの空に」、前に記事にしましたフォレストガンプの映画と同じ時期に公開されています。フォレストガンプに話題をさらわれたのですが、その後根強い人気作品で見られた方も多いと思います。前に見て、お世話になっているブログさんでも紹介されていました。今回もまた英語の習得兼ねてとケチな思いと一緒に日英字幕で見ましたが、もうそんなもんどうでもよくなりました(^_^;)。アメリカ人も心で話す、当たり前のことでしょうがそれを感じました。「希望」という手垢のついた言葉、かみしめました。今回のお言葉は(^_^;)「必死に生きるか 必死に死ぬか」

syo-sya★ 1994年公開 原作 スティーブン・キング 例によりネタバレです

 銀行マン、アンディ(ティム・ロビンス)は静かでまじめな男だが、それが不満なのか妻が浮気する。酒に酔って間男の家に入ろうとしたアンディ、訳のわからないうちに妻と男は死んでいた。逮捕され、無実を主張したが状況的にはまったく不利で終身刑の宣告を受ける。
 入獄したショーシャンク刑務所、彼のような男にはまさに地獄であった。ホモの相手としてつけねらわれ、何度も犯される。刑務主任の男も残酷無比、アンディは死んだように生きていた。同じ終身刑の黒人、レッド(モーガン・フリーマン)と仲良くなる。レッドは殺人を犯し終身刑、仮釈放もことごとくはねられていた。調達屋として刑務所で顔が広く、タバコや酒まで調達していた。アンディはレッドに小さなロックハンマーと女優リタ・ヘイワースの大きなポスターを頼む。アンディは鉱物の趣味がありハンマーで器用にチェスの駒を作ったりしていた。
 アンディは銀行マンの経歴を生かし看守の税務相談などに乗り、少しずつ看守たちの信頼を得ていった。囚人たちのために図書室を作ったり、税務相談の褒美としてビールを囚人たちに飲ませたりして、一目おかれるようになる。刑務所所長は何かと言えば聖書を持ち出す「紳士」であったが、カネには汚く、アンディの知恵で相当の脱税、不正利殖を行っていた。アンディは黙々と従うのみである。
 アンディの無実を証明する囚人が入ってきた。アンディは期待をかけたが、彼が出所すれば自分の不正がばれる所長は事故に見せかけ証人の囚人を殺してしまう。
 アンディが入所して30年はたったある日、アンディは忽然と消えていた。脱獄である。ロックハンマーでコツコツと壁に穴を開けていた。その穴は大きな女優のポスターで隠し、30年近く掘り続けていたのだ。穴から汚い下水を通り、ついに脱獄に成功した。
 アンディは刑務所所長が不正蓄財した預金を引き出しメキシコに逃れる。不正と殺人が発覚した刑務所所長は拳銃自殺する。
 年老いたレッドは仮釈放もあきらめていたが、なんと許可された。40年たっていた。アンディとの約束の場所で、レッドはアンディの手紙を見つけた。静かな希望に胸弾ませ、彼はメキシコのアンディを訪ねる。

★ 必死に生きるか 必死に死ぬか 必死に生きた二人

 いつもながらこんな荒すじではおもしろくも何ともないと思います。ハッピーエンドは嫌いだと気取っていましたが、これは並みのハッピーではありません。唯一、脱獄については現実問題、ポスターで隠すくらいで発覚しないことはないとは思いますが、そこは片目をつむります。30年近く掘り続けたことを讃えながら。レッドが実にいいです。原作では文字通り赤毛のアイルランド人だそうですが、映画ではレッドの存在が何ともいえない味を出しています。彼は殺人を犯したことは否定せず、最後、仮釈放審査場面でも「更正とは何ですか。法律の言葉だ。意味はない。俺は殺したことを1日たりとも後悔しない日はない。もう一度殺した者と話したいが彼はもういない。仮釈放はどうでもいい」としんみりと話します。実際、40年も刑務所にいて外に出ることがたまらなく不安であったこともあるでしょう。現に、彼の前に同じような状況で出所したブルックス爺さん世の中に適応できず、首をくくります。
 レッドも同じ気持ちでした。世の中は異質の世界でした。しかしアンディとの約束を思い出します。手紙を読み、バスに乗りメキシコへ向かいます。静かなモノローグ、詩のように美しいです。「太平洋が青く美しいといいが。親友と再会できればいいが」。そして船を磨いているアンディの目にレッドが映
sysyankります。ズームアウトする太平洋、風に飛ぶレッドの帽子、美しいラストです。
 アンディ、気弱な銀行マンと思っていたら大違い、入所当初から脱獄を考えていたのです。ロックハンマーでチェスの駒を作ったのも偽装でした。所長に尽くしたのもそうです。物静かな面差しに信じられないほどの意思を秘めていました。脱獄に成功し雨の中、両手を挙げる名シーン、映像美にあふれています。また、わたしが打たれたのは刑務所に流れる名曲「フィガロの結婚」、こっそりアンディが流したものですが、誰も歌の名など知らなくても、荒くれ男どもが陶酔して聞き惚れます。荒涼とした世界に流れる美しいソプラノ、心に沁みます。
 アンディも20年にわたり静かな希望を持ち続け、ついに希望を達成します。レッドは自殺したブルックス爺さんと同じ部屋に住むのですが、社会に適応できず一時は自殺も考えながら、アンディの手紙に励まされ希望を持ちます。ブルックス爺さんが彫り残した「ブルックス、こにありき」という字に向かい、「必死に死ぬか、必死に生きるか、俺は生きるよ」と静かに語りかけ、横に「レッドもここにありき」と彫り込みます。ブルックス爺さんは必死に死んだのです。誰も爺さんを批判はできないでしょう。20年と40年、アンディとレッドの必死の希望が美しい太平洋で再会します。

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2010.05.06 / Top↑
main2★ 終わって席の立てなかった映画がいくつかあります。映画「蝶の舌」もそうです。官能映画と間違えて映画館に入った御仁もいるそうですが、スペイン市民戦争前夜のスペインの田舎を描いたスペイン映画です(1999年公開)。美しい音楽、叙情的、牧歌的な背景に8歳の男の子と老教師の交流を描いています。衝撃のラストでした。子供の残酷さ、戸惑い、そして別れを描き言葉をなくします。まずはご紹介、例によりネタバレ満載です。
 わたしの整理、勉強のため書いています。コメントは結構です。

★ すばらしい先生 愛し やがて痛切な別れ

 スペインの平和な村の物語。8歳の男の子モンチョは気が弱い。喘息も持っていて小学校入学が少し遅れた。いじめられると思い学校も怖い。学校でお漏らし、山に逃げるような子供だった。定年間近の教師、グレゴリオ先生は優しくモンチョを包み込み、モンチョも少しづつ学校に慣れていく。グレゴリオ先生は魅力的な人だった。あまり教科書を詰め込むことはせず、生徒を野原に連れ出し、自然を相手にかんで含めるように優しく教えてくれる。ティノリンコという鳥のこと、蝶の舌についても先生から教わった。ティノリンコは求愛期に雄の鳥が雌に蘭の花を贈る、そして蝶の舌は普段は巻かれているが蜜を見つけると伸ばされ蜜を吸う、モンチョに神秘の世界をすばらしい知識で切り開いてくれる。体罰もけしてせず父兄からの付け届けも受け取らない、そんな先生がモンチョは大好きだった。父兄の信頼もとても厚かった。大好きな女の子に先生から「ティノリンコのようにしなさい」と言われモンチョは白い花を贈る。女の子は目をつむるように言って優しいキスで応えてくれる。それを見ながらほほえみ、採った蝶をそっと逃がすような先生だった。
 モンチョも少しづつ大人の世界をかいま見る。悪友に誘われラブシーンをのぞき見たり、ダンスを踊ったり。兄は楽団に所属し外国に演奏旅行したりしている。父は仕立て屋、どこにでもある普通の家庭だったが父は共産党員、折からのスペイン人民政府の熱烈な支持者だった。グレゴリオ先生も普段口にすることはなかったが共産党員で熱心な人民政府側だった。先生はやがて教壇を去る日を迎える。生徒たちに「君たちは自由だ。羽ばたけ」との言葉を残し。
 運命は暗転した。1936年、フランコ将軍が選挙で選ばれた正統な人民政府に反旗を翻しスペインは内戦に突入していく。のどかな村にも反乱軍が進駐してきた。村中大騒ぎになる。人民政府支持者の多くはそれまでの主張を捨て反乱側に寝返る。モンチョの父もそうだった。
 信念を曲げぬ者は捕らわれ拷問を受ける。そして銃殺のため、トラックで連れ去られることになる。昨日まで親しくしていた村人が多数集まり連れ去られる者に「アテオ(無神論者)!アカ!アナーキスト!」の罵声をあびせる。その中にモンチョも両親といた。母はモンチョに同じように罵声をあびせるように言う。やがて憔悴しきったグレゴリオ先生が出てきた。父は泣きながら「アテオ!アカ!」とののしる。モンチョにも言うように母が命じる。変わり果てた先生に驚いていたモンチョがやがて先生に罵声をあびせる。「アテオ!アカ!」。それを悲しみに耐え見つめるグレゴリオ先生。車が走り出すと扇動された子供たちは追いかけ石を投げ、ののしる。同じように走り出したモンチョ、ののしりの言葉の最後に叫ぶ。
「ティノリンコ!蝶の舌!」

★  信念を貫く困難 死して残す痛切な教え

 ラストシーンにこの映画のテーマが凝縮されていて、やや詳しく書きましたが、いずれにしろわたしの下手な荒スジで映画がわかるはずありません。ラストシーンだけ動画を載せていますのでよろしかったら見てやってください。前半1分30秒後はエンドロールですので見られなくても結構です。長いですがyou tubeで全編見られます。URLのクリックでyou tubeに飛びます。

 

http://www.youtube.com/watch?v=rGW79VKX0wY&NR=1

 スペイン内戦の芸術作品はたくさんあります。すぐに思い浮かべるのがヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」、ヘミングウェイは人民政府側に義勇兵として参加しています。ドイツの無差別爆撃に怒ったピカソの「ゲルニカ」も有名です。スペイン内戦は後の世界のすべてが凝縮されていると言います。第二次世界大戦の前哨戦であり、戦争の暴虐、左翼の分裂、粛正、市民の多数の犠牲、戦争と革命の世紀と言われた20世紀のすべてがそこにあります。3年間の血みどろの内戦はスペインを消耗し尽くしました。 
 「蝶の舌」は直接内戦の悲劇を描いてはいません。のどかな村が内戦でどのように変わったか、人間が権力にいかに迎合する弱い者であるか、静かな美しい声で語りかけます。
 それにしてもグレゴリオ先生がすばらしい。けして声高に信念を述べるような人ではありません。豊かな感性と豊富な知識、そしてなによりも人間への深い愛、しかし彼は今でも欧米では変人扱いの無神論者(アテオ)です。地獄を怖がっていたモンチョに優しく言います。「あの世に地獄などない。地獄はこの世の人間の憎しみや恐れが作り出したものだ」。この言葉のように後に先生は人間の作った地獄に殺されていきます。
 スペインの風景がいいです。虫取り網を持ち、かけ回るモンチョがかわいいです。
 反乱軍の進駐で村は大騒ぎ。モンチョの母は夫に党員証や書類を即座に燃やすよう命じ、根っからの反乱側のように振る舞います。女は強い。そして残酷なラスト、母は夫やモンチョにグレゴリオ先生たちをののしるよう命じます。村人が競うように罵声を浴びせているので、疑われないためにもそうする必要があります。泣きながら先生に罵声をあびせる夫が哀れ、男は弱い。子供は時に驚くほど残酷であり、大人に付和雷同するものですが、先生たちに石を投げる子供たちは酷いものです。こんなことまで子供に強いる大人が残酷なだけですが。昨日まで教え、愛していた生徒たちから石を投げられる先生はどんなに無惨だったでしょう。特にモンチョの罵声は先生をズタズタに引き裂いたでしょう。涙ボロボロでした。しかし、一緒になって投げていたモンチョが最後に叫びます。
「ティノリンコ!蝶の舌!」。わたしはここでぐちゃぐちゃ。
 モンチョなりの精一杯の別れの言葉だったのでしょうか。花を贈る鳥、ティノリンコ、いつもは舌を丸めているがいざというとき伸ばす蝶の舌。モンチョは先生に石ではなく花を贈り、今は丸めているがいつか時が来たら舌を自由に伸ばし、羽ばたく、そんなモンチョのメッセージだったのでしょうか。
 いや、これは大人の解釈です。モンチョは8歳、またそんな利口な子には見えません(^_^;)。しかし先生の教えで最も印象に残った言葉を叫ばずにはいられなかった。思わず言葉が口を出ていた。涙も見せず叫んだ子供の描写はリアルで秀逸です。モンチョは叫んだ言葉を死ぬまで忘れることはないでしょう。大人になったとき、その言葉、そして自分がなぜ叫んだか、先生がどんな気持ちで教えたか、先生はなぜ殺されたか、深く理解することでしょう。グレゴリオ先生に最後の言葉が伝わったことを切に望みます。それにしてもラスト、悲しみに耐え放心して先生を見送るモンチョ、名演です。
 スペインのフランコも1975年死去しスペインは急速に民主化されます。1982年には社会労働党政権ができ内戦以来46年ぶりに左翼政権が誕生し今も続いています。グレゴリオ先生の夢は再びかなえられたのです。蝶は再び舌を伸ばしたのです。Viva! Maestro Gregorio!
 個人主義と言われる欧米にも「アカ!」、「アテオ!」と一言で人間を斬罪する言葉はもちろん存在します。何という傲慢、何という無知、クソクラエ! わたしは恐らくその前にお陀仏でしょうが、日本も今世紀はとても厳しい時代になると思っています。大不況が戦争を呼び込んだように、今世紀どのような事態が起こるか予想はつきません。そのとき戦前そうであったように、また民衆は「アカ!」、「アテオ!」と人を断罪し石を投げるのでしょうか。水に落ちた犬を集団でたたくのが大好きな日本人、”アカ”を気取っているわたしもその事態になると自信はありません。あ、もうお陀仏でした(^_^;)

★ DVD 「蝶の舌」
2010.04.17 / Top↑

forrest-gump-bt1★ 「フォレスト・ガンプ 一期一会」です。有名な映画で見た方は多いと思います。
 わたしは一期一会というアメリカ映画には珍しいサブタイトルに惹かれて見ました。だいぶ前ですが、最近英語の勉強を兼ね(^_^;)、英和対訳で字幕の出るソフトで見てみました。まあ、英語を覚えながら見ると気の遠くなる時間がかかり、あとはもっぱら日本語を見て(笑)。公開は1994年、作品賞や主演男優賞などアカデミー賞を総なめにしました。確かに主演のトム・ハンクスは名演です。やはり優れた俳優は本当に役の世界に人を引きずり込みますね。良くも悪くもアメリカだと思いました。作品中に「風に吹かれて」など当時のヒット曲がいくつも流れ、ヒッピーや反体制を気取った若者風俗など、とても懐かしかったです。
 ひねくれ者なのでしょう、こう、うまくいくもんかという思いが強いですが、一つの寓話ととらえれば感じたことは多かったです。

★ 何もかも一途に走り抜けるフォレスト・ガンプ 

 フォレスト・ガンプ
はアメリカ南部で母と二人で暮らしている。父は家を出ていた。フォレストは知能指数75で、補助具なしにはよく歩けない子供だった。教員にも養護学校に行くことを進められるが、教育熱心な母は体を教員に捧げてまで普通学校にこだわる。学校では「うすのろ」呼ばわりでいじめが多かったがジェーンというかわいい少女だけは彼をかばい、二人は親友となっていく。ジェーンは父から性的虐待を受けていて、家から逃げることばかり考えていた。
 高校生になっても二人は親友で、ある日、悪ガキにいじめられ、懸命に逃げながら補助具がはじき飛び、フォレストは補助具なしでも走れるようになる。それからフォレストは毎日走り、何事にも脇目を振らずつき進むことになる。走りを買われ大学に推薦されアメフトで活躍する。ジェーンは女子大に進むが交際は続いた。卒業後、フォレストは軍隊に入りベトナムに派遣される。
 ベトナムで親友となる黒人のババダン少尉に会う。素直で忠実、どんなさいなことにも懸命のフォレストに軍隊はぴったしだった。ババとは将来エビ採りの船を買い一緒に漁をすることを約束する。激戦が続いていたベトナム、フォレストは仲間救出にも我が身を省みず献身し、ダン中尉を助ける。しかし、中尉は両足切断の重傷、ババはフォレストに抱かれながら息を引き取る。
 除隊したフォレストは一躍英雄になっていた。大統領とも直接会い、讃えられる。ジェニーには戦場から毎日手紙を書いていたが、彼女はヒッピー人生を送っていた。ジョーン・バエズのような歌手になる夢は場末のストリップ小屋で歌う歌手となって破れ果てていた。反戦活動にも熱心なジェーンは活動家の男と付いたり離れたりで、いつしか自殺さえ考えるようになっていた。フォレストの一途な愛もむしろ煩わしく、彼のもとを去っていく。卓球を覚えた彼はこれも無我夢中で練習し、いつしか卓球代表として当時断交していた中国へ派遣される。有名人になった彼はカネが入り、ババとの約束の船を買い、エビ漁を始める。
 そこにダン中尉がやってきた。名誉の戦死ではなく、両足切断で生きることになった彼はフォレストを恨んでいたが、ようやく前向きに生きることを考え始めた。なかなかうまくいかなかった漁も、いつのまにか大成功、フォレストは会社を興し大富豪になる。
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 母が「死は人の生の一部」の言葉を残し亡くなった。ジェーンがある日訪ねてきて、一夜、フォレストに抱かれ再び去っていく。喪失感を埋めるためフォレストはアメリカ大陸を走り始め、3年間走り続ける。疲れて家に戻った彼を待っていたのはジェーンからの手紙だった。矢も楯もたまらずフォレストはジェーンを訪ねる。ジェーンには一人息子がいた。名前は同じフォレスト、彼の子だった。しかしジェーンはエイズに感染していた。故郷に帰り二人は結婚したが、やがてジェーンは「アイラブユー」の言葉を残し死んでいく。

★ 人の運命 空をただよう羽 

 まあ、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、ジョーン・バエズ、ブラックパンサー、反戦運動、J.F.ケネディ、ヒッピーなどなど懐かしいアイテムがいっぱいです。そして当時評判になりましたが、ケネディやジョン・レノンの実写フィルムにフォレストを登場させ、自然に握手したり対話させています。当時は画期的なSFX技術だったのでしょう、確かにすごいと思いますが、物語には何の関係もない子供だましとも言えます。
 前に書いた「カッコーの巣の上で」マックはアンチ・ヒーローでしたが、フォレストはアメリカン・ドリームを体現したヒーローとも言えるのでしょう。知的障害があるけれど、何事も脇目もふらずがんばったらきっと成功する。おそらく当時のアメリカがその夢をかなり信じていたのだと思います。ベトナム戦争の悪夢もようやく傷が癒え、中東の泥沼戦争も世界同時大不況もまだありませんでした。思えば幸せな端境期だったと思います。激動の60年代、70年代を振り返る余裕ができたのでしょう。映画がアメリカ人に大歓迎されたのもよくわかる気がします。
 一方のジェーン、幼い頃の父の性的虐待の傷は一生癒えなかったのでしょう。後にフォレストと廃屋となった家を訪ね、石を投げつけ泣き崩れるシーンは印象的です。フォーク歌手になる夢も破れ、ふらふらと惑いの青春です。しかし、いじめられていたフォレストを唯一かばってくれたのは彼女でした。根は心優しい女性です。フォレストは嫌いではないのですが彼の一途な思いは重荷だったのでしょう。自殺まで考えた彼女、最後はフォレストのもとに帰りあっけなく死にます。
 これは対比なのでしょうか。反戦運動などにかかずらい、プロテストクソングとか歌う女の末路はこうなのだ。軍隊にいれば軍人として何も批判せず素直につとめ、世間に忠実に懸命に生きれば末は大成功、それはたとえ知的障害があっても。このようなメッセージであればこんなイヤな映画はありません。フォレストはあり得ない幸運に恵まれただけです。ジェーンもフォレストを手玉にとった悪女との評価もあるようですが、わたしはジェーンの心はよくわかったと思っています。フォレストをけして切ることはできなかった。最後、一夜を共にしたのも彼女の優しさでしょう。トラウマを克服できず、歌いたかった夢も破れた彼女が哀れです。
 一方フォレスト、汚い言葉ですが「コケの一念」であれば必ずそれは通じる、そのような見方もあるでしょう。しかし彼は思いが通じるか否か、たいして問題にしていないようにも見えます。どんなに裏切られてもジェーンへの愛は断たず、最後も何の打算もなく優しく迎え入れた。出会いの時、彼女だけが「横に座ってもいいよ」と言ったことを生涯忘れなかった。アメリカン・ドリームの体現者ではなく、人間として普遍の、愛の最高の形を示した、そう思えばフォレストがやはり崇高な人間に見えてきます。わたしのような凡人には至難のことですけれど。
 最後、ジェニーの墓にフォレストが言います。「わたしたちの運命は決められているのか、それともただ風に漂う羽なのか、わたしにはわからない。きっとその両方なのだろう」。トップシーンで羽がふわふわと漂い、フォレストの足下に落ちます。ラストでも羽がフォレストの足下から飛んでいき空を漂います。映画ではフォレストの愛する多くのものが死にます。母、ババ、ジェーン、大空を漂いやがて消える羽のように。「一期一会」、ワンライフ・ワンミート、美しいラストでした。

★ 大好きなジョーンバエズの「ドナドナ」です。彼女42歳の時のパリ公演。今ももちろん健在です。折れそうだった細い体に美しい貫禄がついています。若い日の澄み切った歌声に惚れました 引かれていく子牛を歌ったものですが、ユダヤ人迫害の哀史を秘めています。

2010.04.09 / Top↑

★ ネパール・インド旅行記は今回お休みさせていただきます。かってアメリカ映画に「ニューシネマ時代」がありました。「俺たちに明日はない」、「イージー・ライダー」、「明日に向かって撃て」、「卒業」など若い(^_^;)わたしの心を震わせました。世界的な若者の反抗が燃え上がった1960年代後半からベトナム戦争が終結する1975年ころまで日本でも大きな潮流になりました。あれほどの感動はその後受けた記憶はありません。
 テーマはほぼ共通しています。ひと言で言えば体制への反逆、それも個人で逆らうことが多く、ほとんどが最後つぶされています。今このような作品さえ少ない気がします。かっては若者の甘えた反抗を許容するゆとりがあったのでしょう。歴史的大不況に見舞われた現代、若者はとにかく自らの生活を立て直すことに精一杯なのだと思います。それはよくわかります。反抗さえできない時代は本当に不幸だと思います。
 中でも最初見たとき、席を立てぬほど心打った「カッコーの巣の上で」を記事にします。主演は怪優、ジャック・ニコルソンです。
 (例によりネタバレ満載ですので今から見る方はご注意ください)

★ 徹底した自由児 最後は… 

 刑務所に収容されていたマクマーフィージャック・ニコルソン―以後マックにします)は労働を逃れるため精神病を偽り精神病院に収容される。多くの個性的な患者が入院していた。ラチェッド婦長が病棟に徹底した管理システムを作り上げていて、患者は彼女に従順に従うのみであった。それも多くが自ら望んで病院に残っていることにマックは衝撃を受ける。彼は天性の自由児、我慢ならなかった。婦長に野球のワールドシリーズを見せることを要求し拒絶される。その夜、病院が鳴らす静かな音楽を打ちけすように一人で大声で架空のワールドシリーズ実況中継をやらかし、みなの喝采を受ける。ある日は院外レクレーションに行くバスを乗っ取り、女性まで連れ込んで患者を乗せ、釣り船を偽って借り上げ患者たちを海釣りに連れて行く。病院のシステムに徹底的に飼い慣らされていた患者たちも海では見違えるように生き生きし、久しぶりに生きることを楽しんだ。
 帰ってきたマックを待っていたものは懲罰的な電気ショック療法であった。強烈な電流を流されるがそんなものにおじ気づくマックではない。みんなに「一万ボルトの電流を流されたが、おかげであそこもピンピン、抱かれた女は光りだした」と言うほどのタフガイぶり。しかし彼ももう我慢の限界に来ていた。入院していたネイティブ・インディアンの大男チーフと仲がよかったが、チーフに共に脱走しようと持ちかける。大きな父との葛藤、感情の繊細さから自閉症気味であったチーフは脱走は怖いと断る。
 マック一人であればいつでも脱走できた。脱走の夜、送別会と称し、盛大なドンチャン騒ぎをやらかす。宿直をたらし込み、外部から二人も女性を連れ込む。酒を飲み、踊り、歌い、みなは思いきり乱れた。マザコンで吃音者のビリーという青年がいたが、彼が女性の一人に惚れていることを知ったマックは二人を個室に入れ”筆おろし”をさせる。酩酊したマックは寝込んでしまい、脱走失敗。明くる朝、病院は大騒ぎ、激怒した婦長は徹底調査を命じ、ビリーが女性と同衾したことを知った。「母にこのことを知らせる」と言われたビリーは絶望し自殺する。マックがぶち切れた。婦長を絞め殺そうとし危うく止められる。
 婦長殺害未遂のマックを待っていたもの。それは当時広く行われていたロボトミーという脳の一部の切除手術であった。廃人のようになって帰ってきたマックを抱きしめ、チーフは「一緒に逃げよう。お前だけを一人、残しはしない」と言ってシーツで窒息死させる。そのあと、かってマックが持ち上げられなかった重い洗面台を怪力で持ち上げ、窓に投げつけ朝靄の中を脱走する。患者たちは驚喜した。

★ 自由の代償 先駆者の栄光と無惨 

 優れて寓話的な物語だと思います。時代の雰囲気としてピンとくるものがあります。人間の隅々まで管理支配しようとする支配権力、それに立ち向かう無援の反逆者。最後は滅ばされます。いいとか悪いではなく、一つの時代を染めた風潮でした。
 o0400025310316929016精神病院の現場がよく描かれていると思います。わたしの体験は一つだけですが。脳梗塞で最後、精神病院に収容された祖母を見舞いに行ったことがあります。大部屋に押し込まれていた祖母はわたしを見ても反応はありませんでした。しかしじっと見たあと「ショーちゃん」とわたしの名前を呼びました。瞬間、正気が戻ったのです。大好きだったおばあちゃんのうつろな目と暗い病棟は忘れることができません。映画での病院は1960年代とは言え、日本の病院に比べれば明るく開放的に思いました。毎日、婦長主催でミーティングも行われます。婦長はあくまで冷静でけして激しません。時には患者の多数決をとることもあります。アメリカ”民主主義”の体現者なのでしょう。しかしマックたち患者が実力行使すると直ちに屈強な看護士たちが制圧にかかります。あくまで法律の建前に基づき、上品に”話し合い”で支配するが、実際は実力に保証された近代民主主義を象徴しています。この頃に比べ、現代はもっと巧妙に、上品に支配体制が構築されているのでしょう。支配されているとは気づかないほど巧妙に。婦長の冷静さは国民を数字としてしか見ない現代官僚の冷静さに似ています。
1e977f5d410fb6793c42812235300754 病院の具体的な実力制圧措置としてマックには電気ショックとロボトミー手術が行われます。電気ショックも当時は頻繁に行われていました。ロボトミーも考案者はノーベル賞をもらったほど一時は流行しました。しかしこの医者も後に手術を行われた患者から銃撃され、重傷を負っています。日本でも広く行われましたが、日本では何と被手術者が手術医師の妻と母を殺害する事件さえ起こっています。ロボトミー殺人事件・ウイキペディアにリンク。それほど問題の多い手術でした。脳の前頭葉を切除するため精神の”異常”改善にはわずかに効果あるかも知れませんが、それ以前に人間的感情、意欲などさえ奪ってしまうのです。脳を切り落とすのです、いい結果になるはずありません。ロボトミーに限らず精神病院の人間無視はつい最近まで日本でも多発しました。
 激しくあふれる人間性を持ったマックのような人間は、たとえ「正義」であってもいつの時代も敗北の運命です。彼は患者たちのほとんどが自らの意志で病院に残っていることに衝撃を受けますが、確かに病院で決まった規則に従い、婦長に従っていれば”死ぬまで”安穏に一応暮らしていけるのです。これも社会の現実を象徴しています。毎日、社会の規則から離れず、つつましく生活していれば何とか生きていくことはできたのが、これまでの日本だったのでしょう。しかし今の社会はそれさえ危うくなっているような気がします。毎年3万人以上の自殺者(その数倍の未遂者の存在。また日本は死因・身元不明の変死者―年間約15万人―を自殺者としてはカウントしないため実際は数倍の自殺者がいると言われています)も大多数は必死に生きてきた人たちであることは言うまでもありません。
 マックは自由の十字架を負って生まれてきた者なのです。社会生活に一定の規則が必要なのは言うまでもありません。マックも勝手なアウトローと言えば言えるでしょう。しかし映画の彼は魅力にあふれています。けして自らのために反逆したのではなく常に仲間のため闘いました。愛すべきビリーが自殺したとき、婦長を殺そうとさえします。アホウです。ドンキホーテです。いつの世も自ら先駆する者は哀れな栄光と確実な無惨に包まれます。そしてわたしのような臆病者が安全を見越してそれにおずおず付いていきます。臆病者は自由に生きることが実は一番辛いことなのでしょう。自由とは存在の意味すら自らうち立てるのです。孤立無援、できあがった道ではなく自らの責任で道を切り開くのです。失敗が多いのですが失敗したら道にうち捨てられます。
 最後、チーフがマックを殺すことは衝撃でした。しかしよく分かります。自由の魂を抹殺されたマックに生きる意味はないとチーフが判断したのでしょう。マックをかき抱き、「共に逃げよう」とささやくチーフの優しさ、ぽろんと涙が落ちます。窓ガラスをぶち破り薄明に駆けるチーフは初めて父を超え、魂を解放したのです。マックの魂もきっと解放されました。
 現実は寂しく厳しいものです。現実のチーフに待つ未来もきっとイバラの道だと思います。しかし心から「チーフ、駆けろ!」と言い、わたし自身も心が解き放たれた気がします。せめて文学、映画など芸術造型でつかの間の魂の解放をと切に思います。

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2010.03.20 / Top↑

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