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★ 中島らも、小説家、戯曲家、エッセイスト、俳優、コピーライター、広告プランナー、ミュージシャン、多彩な顔をもち、アル中、双極性障害(躁鬱病)にして大麻取締法で逮捕され、作品よりおもしろいハチャメチャな生涯、最後は自分が望んだように不意にとん死。とても教科書にのる人ではありませんが、彼は作品のように生き、作品のように死んでいきました。

★ ラリっぱなしの生涯Dd4342b3

 1952年(昭和27年)兵庫県尼崎市で生まれます。父は歯科医でした。小学校ではスカートめくり団の団長も務めますが、名門灘中学に8位の成績で入学する優秀な子でした。だが「いい子」もここまで。そのまま日本有数の進学校灘高校に進みますが、なにを思ったか徹底した落ちこぼれ学生、飲酒や薬物、ロックに深夜放送、ギターまでつま弾きます。「ごねさらせ」という強烈な名のバンドも作っています。これでも足らず、万引き、漫画投稿、マスターベーションと絵に描いたような見事な高校生。当然成績は急降下。修学旅行では酩酊の上教師を罵倒、授業にも出ず、テストも受けず、これでよく卒業できたものです。ま、事実上、放校でしょうが。
 当然大学受験には失敗、予備校生活を送りますが、これも事実上のフーテン。パチンコ、ジャズ喫茶、フーテン仲間と揮発剤、鎮静薬、睡眠薬、大麻、アルコールに耽溺。一応文学論、思想について語り合いながら酩酊しまくります。1年後大阪芸大に潜り込みます。学生時代に結婚しますからハチャメチャでありながらやることはちゃっかりやってます。就職活動もろくにやらなかったのですが見かねた叔父の世話で印刷会社に就職、一応5年間のサラリーマン生活も送っています。この会社もかなりのもので、上司が女の子に握り屁を嗅がせ、泣かせたのを見て「この会社は長くない」と感じたそうです。ま、わたしでも思います[E:happy02]。1977年、宝塚市に一戸建ての家を建て、翌年には二人目の子供を授かっていますから、パンクに似合わぬこともやってます。
 1980年ロックバンドを結成、会社を退職します。宝塚の自宅は友人知人の他に自称ミュージシャンなどのたまり場となり、薬物遊びが再燃。ハイミナールを集めたり、酒やコデインを飲んでヨタ話やギターを弾いたり、夫婦で居候達と性交渉をして過ごしますから、どうなってんでしょう[E:catface]。この家は「ヘルハウス」と渾名されます。 一ヶ月の累計宿泊者が100人を超えた時もあり、汲み取り式便所の汲み取り口から排泄物が溢れそうになったり、顔にドーランを塗って夜の道路を徘徊したり、猫に睡眠薬を飲ませたら翌朝、飼っていたウサギが首だけになっていた[E:coldsweats02]といったエピソードが残っています。

 1981年、広告代理店に再就職しますが、この時代にうつ病を発症し、離人症気味になります。ユニークな広告手法で注目を集めますが、劇団を結成し脚本執筆のほか、役者もこなしたりしています。1987年、退社し、有限会社「中島らも事務所」を設立し作家活動を本格化します。戯曲、エッセイ、小説、バラエティ番組の脚本など、多数執筆し、「ひねくれたユーモア感覚」で、「関西独特のおかしさ」や「市井の奇人や珍現象」などを書き、多くの読者を獲得します。人気作家となるも、飲酒がもたらす酩酊から着想を得ていた彼は飲酒を繰り返し、アルコール依存症で入院治療も受けています。1996年にはロックバンド「PISS」を再結成、音楽のジャンルでも活動の場を広げます。
 薬の副作用から視力が殆ど無くなり、持病の躁鬱を繰り返す中、時間概念の喪失、運動障害、躁状態がもたらす万能感から支離滅裂の言動が度々見られ、減薬と入院治療である程度回復しても飲酒は続けていました。2003年に「オランダで尻から煙が出るほど大麻を吸ってきた」と大阪のラジオ番組で公言その数日後に大麻取締法違反などで逮捕されます。大阪地裁で持論の「大麻開放論」を展開。その年の夏から自らの獄中体験記をつづったエッセイ『牢屋でやせるダイエット』を出版、手錠姿でサイン会を開くなど精力的に活動を再開しますから、根性座っています。
 2004年、彼が望んだように不意の死が訪れます。酩酊の末、神戸の飲食店の階段から転落して全身と頭部を強打。脳挫傷により入院、自発呼吸さえ出来ない状態に陥ります。入院時から意識が戻る事は無く、事前の本人希望により、人工呼吸器を停止、死去します。享年52歳。彼の生前の意思表示で葬式は執り行わず身内と近親者のみで密葬されました。遺骨は夫人の手で散骨され墓はありません。

★ 「あの世で好きなだけ酒呑んでハッパでも吸ってノンビリやるよ」

 彼の生涯、良識派からは目の仇でしょう。わたしも賛美するつもりはありません。ただ彼の作品はとにかくおもしろい。タイトルだけでも笑えます。
 「頭の中がカユいんだ」 、「なにわのアホぢから」 、「お父さんのバックドロップ」 、 「西方冗土」 、 「ガダラの豚」(第47回日本推理作家協会賞受賞)、 「空からぎろちん」 、「固いおとうふ」、「酒気帯び車椅子」。
 もちろんみんな読んだわけではありませんが、「らもワールド」を想像することができると思います。たとえば「ガダラの豚」。アフリカの呪術、新興宗教の闇、アル中、超能力etc。らもワールド炸裂、帯に書いてあるようにまさに「世紀末大スペシャル」です。ここでは彼の作家としての資質も遺憾なく発揮されています。綿密な取材により破天荒な物語でありながら、冒険小説の緻密な構成、描写が光ります。
 51hdyxrvkql__sl500_aa240_ 彼は基本的に含羞の人であったと思います。含羞ゆえに道化を演じた太宰治に似ていると思います。この世をしらふでは渡りきれなかったのでは、そう考えています。だったら酒、薬に溺れていいのかという声がすぐ聞こえてきそうですが、いいわけありません。ただ彼はそうするしか生きるすべを持ち得なかった。このような男もいるのだ、そう思っていただけるだけでいいです。彼の笑いには虚無とそれでも生きざるを得ない人間への愛情を感じます。ラリった目でどのような深淵を見、怯え、愛おしんでいたのでしょうか。
 彼の最後はすばらしく好きです。葬儀も墓も入らぬと、かねてから言明し家族もそれにこたえ、骨は散骨されました。悲喜劇は生きているうちで十分、死後にまで恥をさらすな、そのポリシーを貫きました。また残る人をいつまでも煩わせたくなかったのだと思います。社会的にもこれからますます墓の継承問題とか出てくるでしょう。遠い子孫まで煩わせる人間とは何なのでしょうか。わたしも、その時は灰を山にばらまいてくれるよう子供に言いました。子供は「ヒマラヤにまく」と言ってくれました。涙をこらえました。わたしは何もわからないのです。ヒマラヤだろうがウラヤマだろうがどこでもいいですが、気持ちには泣けました。わたしが愛し、わたしを愛してくれた少数の人が時にわずかでも思い出してくれればそれで十分満足です。

★ 「ガダラの豚」  中島らも 著

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2009.07.30 / Top↑

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