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★ ネパール・インド旅行記も最後です。読んでくださりコメントしてくださった方には大変感謝しています。
 今回、ほんとに上っ面を見てきただけで真実の姿など簡単にわかるものではありませんが、色々と思うことはありました。わたしの結論はやはりどんな豪奢な人工物も大自然の造形の前には色あせてしまうということです。大自然はけして人間に見せるためではなく、あれほどの造形を堂々と静かに存在させています。一方、人工物には人間のドラマが込められています。悲劇も喜劇も惨劇も、人工物を見るとついそんなことを考えてしまいます。タージ・マハールは確かに比類なき美しさですが、皇位を争い殺し合った兄弟のドラマはすさまじいものです。しかしなお、ただ一人の人間が他のすべてを投げ打ち、あれほどのものを建設した、それはやはり人間の意志、あこがれの強さを感じるものでもありました。人間の凍った夢がタージマハールなのでしょう。
 
(画像はすべてクリックで拡大します)

★ ムガール帝国 栄華のあと

 タージ・マハールの
P1010366あと、ジャハーン皇帝が幽閉されていたアグラ城へ行く。”赤い城”と呼ばれるように、ここも赤砂岩の見事な城である。しかし内部はタージ・マハールのように白大理石をふんだんに使い、イスラム調の彫刻や文様がとても美しい。タージマハールを見ながら最後の7年間、皇帝は何を思って生きたのだろう。アグラ城では何度か熾烈な戦いが行われた。無駄なく、合理的、堅固に作られているこの城も何度か落城している。
 
P1010370その夜はホテルの前のしゃれたカフェに入った。インドでレシートなどもらうのは少ないが、ここは明朗会計、ちゃんと印字したレシートもくれた。けして高くはないが、普通インド人はあまり入らないのだろう。しかし、こうして日本人がいつまで海外に比較的自由に行くことができるのだろうか。今回韓国人や中国人も見かけた。見るのは当然であるが、一昔前まで両国は海外に出ることは至難であった。かっての日本もそうであった。世界は変わっている、しがない日本人のわたしがこうして旅行に出られたことを本当に感謝している。いつかネパール人やインド人が多数日本を訪れるようになってほしい。
 翌朝、朝早くデリーを目指す。今日で旅行も終わりだ。
 
fumayu102まずフマユーン廟に行った。ムガール帝国2代皇帝フマユーンの廟である。この皇帝も波瀾万丈の生涯であった。政治・軍事嫌いのなかなかの文化人であったがそのため一時は帝国を追われ、ペルシャに亡命している。15年もの隠忍自重のあと大軍でインドに攻め入りデリーを奪還した。図書館の階段から落ちて死ぬという、文化人皇帝らしい最後だった。死を悼んだ妃がフマユーン廟を膨大な費用をかけ作り上げる。建物はごらんのようにタージマハールに似ている。まあ、金と力のあるお方は使い道に困るのだろう。金も力もなく色男でもない、あたい、死んだらその辺の裏山に灰をばらまいておくれ。さばさばそれで一巻の終わり!
 
RedFortその後レッドフォートへ行く。文字通りここも赤い城である。きわめて合理的、実用的に作られているが赤砂岩の色が厳しい美しさを見せている。セポイの反乱のあと、イギリス軍が接収し、そのことをインド人は忘れないのだろう、毎年8月15日の独立記念日にはインド首相がここでインド国旗を振り演P1010382説するそうだ。そう言えばタージマハールのドームの尖塔は金でできていたそうだが、イギリス軍が奪い去っている。何がジェントルマンじゃ、世界中から富を奪い去り、ドロボー、返せー。いかつい城の内部はここも白大理石に美しい花が描いてある。
 行きたかったガンジーの墓(ラージガート)に行った。墓と言ってもここにガンジーの遺骨は何もない。ヒンズーの教え
P1010388に従い彼の遺灰もガンジス川に流された。ここは彼の火葬の地でありそれを記念する碑である。彼の銅像でもあるのかと思ったら驚くほど質素であった。黒御影石にマリーゴールドの金色の花輪が美しい。小さな永遠の火がインドを見守っている。
 ようやくインド独立を勝ち取ったガンジーを待ち受けていたのは宗教対立であった。ヒンズー教徒とイスラム教徒の抗争は燃えさかり、ついにイスラム教徒はパキスタンとして分離独立する。この混乱で100万人もの命が失われたという。何のための宗教か。魂の平安を求める宗教が最大の殺戮の道具となり肉
P1010393体と魂を殺す。両教徒の和解を呼びかけたガンジーはヒンズーの狂信者に暗殺された。
 ここで食べたカレーは大変おいしかった。カレーとナンはやはりよく合う。
 
Qminar最後、クトゥブ・ミナールに行く。ムガール帝国以前のイスラム王朝である奴隷王朝(創始者は奴隷であった)の皇帝が1200年頃建設したものである。ヒンズー教の街であったデリーを徹底的にイスラム化し、この尖塔は勝利の塔と呼ばれた。多数のヒンズー寺院を破壊しその建材で建てたものである。高さ73メートル、今でも世界一高いミナレット(モスクの尖P1010396塔)である。先端まで精緻な彫刻が彫ってあり見るものの目を奪う。ヒンズー教徒にことさら見せつけたイスラムの勝利の塔であろう。

 ★ 今回思ったこと 世界は変わる

 すべての日程が終わった。
 あとはおみやげを買って帰るだけ。し、しかしである。最後までちょっと不愉快な思いを(^_^;)。おみやげは紅茶に決めており、紅茶のいい店に連れて行ってくれるようガイドには何度も頼んでいた。しかし、連れて行ったところは絨毯の店、アホか。こんなもん、どうやって運ぶ、送るとしても日本に着くまで気が気ではない。紅茶も隅の方においてあった。聞いたら一箱、4000円(^_^;)。冗談ではない、途中数分の一で同じものをいくつも売っていた。日本人、どこまでなめられる。即座に店を出る。ガイドにも相当のバックペイが行くのだろうが、とぼけたふりは腹が立つ。車の中でも「給料だけでは生活できない。チップやオプションツアーが収入源」とかぬかす。キョーハクするの。プロの仕事はそんなもんじゃないでしょう。耐える美学など無縁らしい。そして最後の最後まで(^_^;)。最後のチップ、ガイドが紙に書いて渡したとおり払ったのに、「足らない。この2倍」と。断固断った。
 
 イスラムもそうだがヒンズーにも「バクシーシ」の思想がある。「富めるも
P1010235のは貧しいものに施し、それが功徳にもなる」ということである。だから、施しを受けても普通感謝はしない、むしろ施した方に功徳を与えたのだから感謝するのは施した方となるのであろう。この考え、理解できる。確かに古来「バクシーシ」は一定の社会的安全弁になっていたと思う。だがいつも建前と現実は違う。観光に訪れる外国人にこれを求めるとちょっとおかしな風になる。わたしは確かにインドの多数の民衆から見れば「富めるもの」であることは否定しない。しがない日本のおっちゃんでもそうだろう。本当に難しい問題だと思う。しかし大半の日本人も乏しい家計と休暇を何とかやりくりして旅行に行っている。一人に施せば多数が寄ってきて収拾もつかなくなる。いつか非難されたがまだまだインドもネパールも貧しいのが現実である。観光は大きな産業であり行くこと自体でかなりの貢献はしているのだろう。上にも書いたようにいつの日か両国から多数の人が日本を観光することを願ってやまない。その頃、もし日本の立場が逆転していたら、日本人にまたしゃかりきにがんばってもらうしかない。それが歴史の宿命なら致し方ない。いや、高望みせず身の丈にあった新たな価値観を日本人が身につけていれば無理することもない。お牛様のように身を焼く焦慮も絶望もなく毎日をゆったり生きていければそれでいいのだろうと思う。

 難しいことの口直し。ヒマラヤはすばらしかった。皇帝もコジキも所詮、人間、つかの間の夢、ヒマラヤの一呼吸。「来るな」と言ってもまた必ず行く!
 読んでいただき本当にありがとうございました。m(__)m

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2010.03.31 / Top↑

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