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 前に記事で
献血のお願いをしたことがあります。ネットニュースで報じられ、ネット界では大騒ぎになりましたのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、当該女性の話は嘘と言うことでした。わたしもブログのお客さんの記事を見て転載したのですが、それから転載していただいた方、女性のブログで励まされた方もいらっしゃいます。わたしも驚きました。見舞いや寄付が目的であったとすれば悪質です。今はブログも閉鎖状態で彼女の真意はわかりませんが、単に騒がれたかった、かまってもらいたかったとすれば少し哀れになります。とにかくネット界もどのような人もいるのですね。また勉強しました。

 
204px-Maughamサマセット・モームです。彼の英文はよく受験にも出ました。しかし、彼の世界観はとても「明るい」教育に向くものではありません。モームは幼くして父母を亡くしています。フランスで生まれ父母の国イギリスに帰りますが、吃音だったこともあり、いじめられ惨めな少年時代を過ごします。このような体験はやはり生涯を決めるものだと思います。自伝的小説「人間の絆」、画家ゴーギャンをモデルにした「月と6ペンス」など皮肉で辛らつ、「明るくない」世界観に満ちています。今日は短編小説として評価の高い「雨」です。お読みになった方は多いと思いますが、例により完全ネタバレです。一応オチのある短編では厳禁なのでしょうが、いつも書きますように小説はあらすじではないと思っています。ですが気になる方はスルーしてください。

★ 「善」は敗北したのか 

 舞台は南洋のサモア諸島である。熱烈な信仰者デイヴィドソン牧師は妻と共に任地へ向かう途中、伝染病検疫のため島に停留することになる。医者のマクフェイル夫妻、そして見るからに自堕落な娼婦、ミス・トムソンも一緒だった。島は折から雨期、太鼓でも鳴らすように激しく屋根にたたきつけ、滝のように視界を奪うスコールが連日続いていた。デイヴィドソンはトムソンが我慢ならなかった。彼女は夜にもお構いなく音楽をがんがん鳴らしここでも客を取る始末。デイヴィドソン夫妻には敵意に満ちたまなざしを投げかける。デイヴィドソンは彼女を「教化」しようと熱意を燃やす。あの手この手も通じずデイヴィドソンはついに彼女を強制送還させる措置をとる。
 ふてぶてしいトムソンもこれはショックだった。送還されたら監獄が待っているだろう。手のひらを返したようにデイヴィドソンにすり寄ってくる。これ幸いにデイヴィドソンも懸命に彼女の「教化」につとめる。そして明日は送還されるという夜、デイヴィドソンは彼女の部屋で夜遅くまで彼女と話し合う。そして…。彼女の部屋を出たデイヴィドソン牧師は夜のうちに浜辺でのどを切り自殺する。衝撃のドクター・マクフェイルがトムソンの部屋に入る。変わらず音楽を鳴らしている彼女にマクフェイルは激怒する。マクフェイルに、あざけりと激しい憎悪を込め彼女は言った。
男、男がなんだ!豚だ!汚らわしい豚!みんな同じ穴の狢、男はみんな、豚!豚!」。
 マクフェイルは思った。「いっさいがはっきりした」

★ 「善」は弱さを見つめそれから始まるのでは 

 ごく短いものです。物語も複雑ではなく、結末もある程度予想する人もいるでしょう「いっさいがはっきりした」の言葉で終わるのですが、けして牧師と彼女の間に何があったか、書いているわけではありません。しかし、牧師の自殺、彼女の呪いの言葉で容易に推察はつきます。牧師は致命的な間違いを犯したのです。からみつくようなねっとりした湿気、おかしくなるような熱帯の雨が終始、背景になっています。
 これは「善」の敗北なのでしょうか。デイヴィドソン牧師は熱烈な信仰者で自他に厳しい善の実践を迫ります、モームが牧師という設定にしたので彼の思想がよくわかります。欧米のキリスト教の伝統は、信ずるにせよ反発するにせよ、日本人には想像もつかないくらい根深いものがあると思います。「雨」は明らかに信仰、もっと言えば神の嘲笑のような気もします。わたしはここではそこには深入りしません。わたしは全くの無神論ですが、キリストは偉大な人間であったと思うし、コルベ神父のように文字通り神の愛を実践した信仰者ももちろんいます。ここではデイヴィドソン牧師が追求した「善」について書いています。
photo summer_23 不良カトリックであった遠藤周作は「善魔」について書いています。絶対の善を振りかざし自他を裁くときそれは「善魔」であり、悪魔より極悪であるということです。「正義」が権力を持ったときどんな残虐が行われたか、西洋の魔女裁判、宗教戦争、異民族侵略、いくらでも例があります。南米を侵略したとき、スペイン人は原住民は本気で人間とは思っていませんでした。それに疑問を持った当時としては信じられないほど進歩的だった神父が「インディオも人間だ」という本を書いたくらいです。
 信仰による絶対の善を信じたデイヴィドソンが、最後トムソンの誘惑に負けたのか間違いを犯します。それをトムソンと一緒にあざ笑うことはたやすいです。デイヴィドソンは人間の弱さを認めなかったのでしょう。それは人の弱さももちろんおのれの弱さも。弱いからこそ熱烈に絶対の善にすがった。そして最後に破局を迎えます。しかし、トムソンにそれを笑うことができるでしょうか。下半身は上半身は見えないけれど上半身はおのれの醜い下半身がよく見えます。ちなみにこれが腹に隠れて見えなくなればちと危ないです(^_^;)。上半身はこの凶暴な下半身と共にどう生きるか、人間そのものが引き裂かれた矛盾に生きています。下半身しか見なかったトムソンが人間は下半身のみで生きていると思うのは明らかに間違いです。豚としか人間を見られなかったのも哀れですけれど。逆に下半身を見ようとしなかったデイヴィドソンも致命的な間違いを犯していました。抑圧され無視された下半身は最後、強烈な復讐をとげます。
 デイヴィドソンは自分で自分を裁きました。それまでの全存在が崩れたときごまかさず自裁したのです。デイヴィドソンがトムソンを「善導」しようと思ったのは本気であり、最後までトムソンに同伴し、共に苦しみぬいて救う覚悟であったのならそれはそれで尊いと思います。「善」は強さではない、おのれと人の弱さをよく見抜き、そしてなおどう生きるか、それを突き詰めたときようやく少し見えてくるような気がします。
 わたしは心が弱いのか、卑しいのか、露骨な真実より優しい嘘が何か懐かしくなってきているようです(^_^;)。絶対の「善」はないのでしょうけれど、人をつなぐふやけた「善」もやはり必要な気もします。社会生活などホンネ、ホンネで生きまくったら一日もやっていけないのも明らかです。冒頭の女性もだますなら最後までだます覚悟がでやらんとあきまへんで。

最後、モームの大好きな言葉です。
「神が人間を創ったと認めてもよい。それならなおのこと、なぜ神の前にひざまずかなければならない。人間創造などくだらぬことをやらかした神の前に」

★ 雨・赤毛 (新潮文庫―モーム短篇集) 中野好夫 訳
  
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★ コルベ神父―わたしももちろん、モームのような文筆の徒にはおそらく逆立ちしてもまねできない、尊敬するコルベ神父です。ウィキペディアに飛びます。
2010.04.16 / Top↑
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