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★ フランス革命は本当に興味を引きます。人間の極限のドラマが繰り広げられました。後の人間がコーヒーでも飲みながら楽しむには格好のものでしょう。日本と違うと思うのは女性が表舞台で相当活躍していることです。暗いイメージのロシア革命と違い華やかです。「暗殺の天使」と呼ばれ、革命リーダーを一人で刺殺した美女もいれば、何より前に書きましたように王一家をヴェルサイユからパリに引っ張ってきたのはおかみさん連中(ヴェルサイユ行進)、この時点で王家の敗北は決まっていたのでしょう。
 今回こぼれ話編?ということで、パリのトイレ事情、美女組について記載します。人物はあとで改めて一項を立てる人もいます。

★ パリ トイレ事情

 花の都、パリも当時はトイレがなく実際は異臭の都市だったことはよく知られています。ヴェルサイユ宮殿からして王族は別としてほかに数少ないオマル型便器があっただけ。これは事実のようです。華やかな舞踏会場にももちろんなく、もよおしたら庭に出て堂々と。やんごとなきお方も食べたら出すのは理の当然。何千人といた使用人が毎日どうしていたか。宮殿や廊下の隅、庭の隅でやっていたそうですから、まあ全体がうんこの宮殿みたいなもの。珍しいきれい好きの貴族は携帯用便器、ようするにオマルをもっていてそれにしたそうですが、家来がすぐにそれを庭に捨てたので環境上は同じこと、まあいくら家来とはいえ、もっこりの便器もってついてはいかんでしょう。
 原因で考えられることは?水が少なかった―古来から天然水洗便所が普及していた日本は幸ウンです?乾燥しているので日本のようにべちゃべちゃにならない―納得。?そもそもうんこに対する思想が違う―これが一番大きいのかも。それまで体内にありお友達だったものを、一旦外に出るやいなや蛇蝎のように嫌うのがちとおかしいのか、おかしくないのか、うんこも立派に哲学になります。あれほど個人主義の西欧人が未だにトイレだけは意外と開けっぴろげ。ま、わたしも嫌いですが。
 ?、?の理由で当時のフランス人はほとんど風呂に入りませんでした。シャワーももちろん。当然体は臭います。それを消すために香水が発達したのも有名な話。狩り好きのルイ16世は馬の臭いがしたそうです。王宮ですらそうですから、パリの街はうんこの山、庶民もさすが部屋ではしなかったようですが、オマルにしてそれを景気よく窓からぶちまける。「イクヨー!」、「オー、チョットマッテー!」てな調子です。ファッションの都、パリですが、ハイヒールもうんこの道を通るためのやむを得ざる発明で、中には高さ50センチのもあったとのこと、もう竹馬。優雅に広がったスカートもそれに便器を隠し用を足すために広まったとのこと、何のことはない、うんこはファッションの母、オヤジの入った後のトイレに行かない日本人、とても花の都では生きてはいけまへん。
 これはイギリスもドイツも似たようなもの、中世、ペストなどの伝染病がはやり甚大な被害をもたらしましたがトイレ事情も大きな理由でしょう。ただ当時の人はそれこそばい菌で出来ていたようなもの、その面では異様にたくましかったのは間違いありません。清潔に慣れた現代日本人は冗談抜きに一日も生きていけなかったと思います。その証拠にあの太陽王、ルイ14世、異様に細菌嫌いで医者に命じ、熱心に体内殺菌し、おかげで腸内の消化細菌までお陀仏で、年中下痢気味だったとのこと。よくオマルに座り命令書を書いて渡したと言います「苦しゅうない。近うよれ」とのたまったのでしょうか「近うよれ」、言われても(^_^;)

★ 美女組

 「ヴェルサイユのBARA」の宝塚、雪組、花組などにちなみまず美女組です。
 
474px-Marie_Antoinette_Young2? マリー・アントワネット
 やはり敬意を表する意味でもマリーアントワネットでしょう。確かに残っている肖像でも魅力的です。当時のヨーロッパ王室は政略結婚により王室の基盤を盤石にしていました。マリーも当然そうで聖ローマ帝国(オーストリア)のハプスブルグ王朝ブルボン王朝と縁を固めるためフランスに贈ったものです。ハプスブルグ家もブルボン家もヨーロッパ各国に血縁を送り、ヨーロッパ各国の王はいわば親戚です。王族ほど狡猾なものはありません。その意味ではマリーはやはり悲運だったと思います。彼女の母マリア・テレジアが女傑で実質神聖ローマ帝国皇帝でした。マリア・テレジアは送り込んだマリーのことを最後まで心配していたそうです。彼女がマリーの処刑を知らずに亡くなったのはせめてもの救いだったでしょう。
 これはゴシップのたぐいになりますが、10歳で虐待され死んだルイ17世、彼は実はルイ16の子ではなく、前に書きましたスエーデン貴族フェルセンの子ではないかということが当時から言われていました。状況証拠は結構あります。ルイ16世は当初不225px-Louis_Charles_of_France5能でありけして子宝に恵まれた方ではなかった。ルイ15世は正妻との間に10人の子、愛妾15人(やっぱ革命大賛成!平等!博愛!(^_^;))で子供の数は数えきれずと言う絶倫男でしたが、16世はマリーのほかは目もくれず、きわめて不思議な王様(爆)。マリーともあまり同衾しなかったと言われます。若いマリーがフェルセンに引かれたのもよくわかります。相思相愛は紛れもない事実。どっちかゆうとイケズメンだった16世に似ず、17世はかわいすぎるようにも思いますがこればっかしは専門家でもない限りわかりません。後にフェルセンが命をかけてマリーを救おうとしたのも妻とわが子を救うためであれば納得できます。わたしも当時の貴族の純愛などあまり信用していません。ゲスの勘ぐりの感なきにしもあらずですが、当時の庶民は恨みもありこ皆なこれを信じ、そうなるとフランスを牛耳ったオーストリア女とスエーデン男の子であり、フランスには何の縁もない。犬以下に扱ったのもわかる気がします。もちろん、子供にはまったく罪はなく哀れです。真実はマリーが知っているだけですが、いずれにしろこうした噂が立つこと自体マリーの不徳の致すところでしょう。もしそうなると、知れば知るほど善良な王に見えるルイ16世も哀れです。やっぱ歴史の陰に女あり。

445px-Charlotte_Corday★ シャルロッテ・コルデー
 フランス革命では貴族、革命派ともに魅力あふれる女性も多く、美女も多いのですが、「暗殺の天使」として今なおフランスでは人気抜群というシャルロッテ・コルデーです。貧乏貴族の娘であった彼女は一生を修道院で暮らしたいと思うほどの敬虔で物静かな女性でした。一応貴族の娘でありジャコバン派には反感を持っていたのですが、町に逃れてきたジロンド派の話を聞くにつれますます反感を募らせ、当時ジャコバン派のリーダーと見なされていたマラー暗殺を決意します。それから一直線、パリに行き、マラーの心臓を一刺し、暗殺します。24歳でした。直ちに捕縛され、即決裁判でギロチン送りになるわけですが、当時からその美貌が評判になり、処刑場は男どもで押すな押すなの大盛況だったとか。絵もいくつも残っています。革命期に限らず、いやフランスに限らず当時の処刑は公開で庶民の最大の楽しみでした。ほかにさしたる娯楽もない庶民、人の断末魔を見て楽しんでいたのです。人間が神の子、とんでもありまへん。
 絵は後に革命が否定された帝政期に描かれたものでいかにもシャルロッテはキリリと美しく、当時は救国の女性と特にもてはやされました。しかしマラーもまれに見る革命家でした。皮膚病に苦しみほぼ一日中浴槽につかっていました。病身を押して民衆の願いには最大限耳を傾け、民衆に慕われました。その気持ちがあったため陳情を偽ったシャルロッテも浴室に入れ、浴槽の中で刺殺されます。後に書きますが
ロベスピエール、サン・ジュスト(のち刑死)とともにわたしは最高の革命家だったと思っています。マラー死後、財産は何もないことがわかりました。妻シモーヌの純愛も泣かせます。
 ただ鉄の意志を持ち女一人で名高い革命家を一突きにし、従容とギロチンに登った彼女もやはりすごい。
 くだらぬダジャレですが高校の先生、「マラーがマラで殺された」とのたまう。マラーさんごめん。ただそれで終生忘れ得ぬ人に(^_^;)

★ うんこの話で思わぬ長さになり今回はこれまでに。次回はデー嫌いなイケメン組とかいきまする。
2010.04.23 / Top↑
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