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POMPADOUR,_marquise_de_(esquisse)★ 今回はポンパドゥール夫人です。彼女はルイ15世の愛妾、フランス革命前に亡くなっています。才色兼備の優れた女性であった彼女はフランス革命を予見していました。「わが亡きあとに洪水来たれ」、まあ何という大胆、開き直り、ホンネとしては実に見事と言わざるを得ません(^_^;)。鮮やかに勝ち逃げし、すぐにフランス革命の大洪水。前回あまりにも凄惨でしたので今回はポンパドゥール夫人が庇護したロココ芸術も若干紹介します。平民の子から愛妾、王までも操り、政治的にも文化的にも大きな働きをした彼女、いやお見事。
 ただ凄まじい血の洗礼のあとにも自由・平等・博愛の理念は残りました。それが最大の遺産と思い、信ずる「正義」のために命をとして戦ったフランスの男たち、女たちにやはり深い敬意を捧げます。

★ 「わたしの時代が来た!」 登りつめた生涯 

 ポンパドゥール夫人は1721年、パリに銀行家の娘として生まれます。上流ブルジョワ階級です。教育も貴族に負けないものを受けますが身分的にはあくまで第三階級の平民です。優秀な頭脳と輝かしい美貌に恵まれました。何より強烈な上昇志向を持つ野心に満ちた女性でした。20歳で徴税請負人ノルマン・デティオールと結婚します。(今の税務署のお役人と違い、徴税請負人は絶大な権力を持つ支配者の一端で革命期には多数処刑されています)
 あくなき知識欲により当時の一流知識人のサロンに出入りしますが、平民の出であり貴族には複雑なコンプレックスを持ちます。それを一気に解消する方法、彼女は何と時のルイ15世に取り入ることを考えます。23歳でした。王との出会いは仮面舞踏会、また王が狩りに行った森とも伝えられていますが、いずれにしろいかにも王朝絵巻、彼女が積極的に王との出会いを画策したのは間違いないようです。名だたるスケベェのルイ15世、彼女の美貌にイチコロ、さっそく今までの愛妾はお払い箱、やがて彼女はルイ15世の公妾となります。公娼ではありません、念のため。公妾は制度として正式に認められたものであり公の席にも出ることが許されました。彼女の夫は「フランス一有名なコキュ(寝取られ男)」になったのです。しかし、この夫とも正式な離婚は認められません。熱心なカトリック国であるフランス、今も離婚には厳しいですが、まあ、制度や建前はどうにでもなるもの、彼女は人妻のまま、フランスのファーストレディとなります。平民は公妾になれないため、公爵夫人の称号を与えられポンパドゥール公爵夫人と呼ばれます。
 それにしても、戦争から帰り真っ先にすることは妻の手を取り寝室に行くことと言われるフランス人ですが、ルイ15世は際だっています。まあ、イタリア人は隣の奥さんの手を取り寝室へと言われますけれど(^_^;)
468px-Fragonard,_The_Swing 彼女が言ったように「わたしの時代が来た!のです。完全に貴族の女に勝ったのです。それからはまさにやり放題、多くの豪華な宮殿を建てさせ、政治には関心がなくあっちをやり放題のルイ15世に代わり政治の表舞台にも登場し王の摂政とすら呼ばれます。宿敵であったオーストリアとの同盟を提唱したのは彼女であり、これにより、マリーアントワネットがフランスに輿入れします。まあ、マリーの処刑の遠因を作ったのは彼女とも言えるわけで、因果は回るチンチロリン。
 彼女は学芸、芸術面にも造詣深く、時の一流文化人を集めサロンを作っていました。フランス革命の思想的背景ともなる百科全書派の知識人も侍らせており、ポーズにしてもたいしたものです。またロココ調の芸術は彼女の庇護で絶頂期を迎えています。バロックの重厚に変わり優美な曲線、華麗な文様のロココ芸術、政治的にも文化的にも何も残さなかったルイ15世に比べ際だっています。
 彼女は本当に利口だったと思います。彼女の唯一の弱点は健康でした。絶倫男ルイ15世のお相手も30にならずして出来なくなります。ここで熟慮、彼女はフランス版大奥を作ります。馬鹿の園、あ、失礼、鹿の園を作り、身分は問わず国中から美女を集め、ルイ15世に提供します。一人の女に寵愛が集まると自分の身分が危うくなる、次から次へ15世が目移りしていけば我が身は安泰、絶妙の知恵です。くだんの王様、「ウィ、メルシー!」てな具合でそこに入り浸り、やはり革命は大賛成でござります。
 あ、何も残さないと失礼なことを申しました。15世、鹿の園で200人以上の女性に奉仕し、わかっているだけで60人ほどの子供を残しています。回転率を高めるのが目的ですからほとんど一回でお払い箱、のちの革命期に判明した子女は酷い目にあいました。彼女は自分のためにのみすべてを利用したのです。非情と呼ぶにはスケールが大きすぎます。
 
ポンパドゥール夫人は自ら味わった宮廷生活が永遠に続くものではないことをよく知っていました。それほど腐敗、堕落は極に達していました。豊富な財政もこの頃から傾いています。だからなおさら奢侈を極めたのでしょう。彼女が言った「わが亡きあとに洪水来たれ」、何というふてぶてしさ、でもよく考えたら人間のホンネはこうなのかもと思います。子孫のため本当に今を慎むものがどれだけいるでしょうか(わたしもですが(^_^;))。その意味では極めて正直な女性だったのでしょう。彼女も健康にだけは勝てませんでした。1764年、42歳の若さで亡くなります。予言通り25年後、大洪水がブルボン王朝を洗い流しました。思えばいいときに去ったのでしょう。

★ 人間の愚かさと崇高 今に残るロココ芸術 

 洪水と言えば西洋人は聖書のノアの箱船の洪水なのでしょう。ノアは神に愛でられた善良な人でしたが、
ポンパドゥール夫人もいわば最高の箱船に乗っていました。しかしその箱船は大火山の上に乗っていたのです。来るべき大爆発のエネルギーを秘めた火山の上で、王たちは死の舞踏を踊っていました。ほとんどの貴族もそれは気づかなかったと思います。それを見抜いていた彼女、やはり並みの人ではなかったのでしょう。平民出だから平民の怨念もわかっていたと思います。
 わたしはやはり20代で老婆のようになり痛苦の生涯を終えた民衆のことが忘れられません。ヤボは承知で華麗な芸術のうしろに民衆の涙を見ます。ロベスピエールたちもきっとそうだったでしょう。無数の血が流されたフランス革命、自由・平等・博愛を残すため、あれほどの血が必要だったとは、わたしももちろん思いません。人間の愚かさと崇高さを驚きを持って知ります。選挙で政権を変えることができる現代、暴力による革命は必要でないことも言うまでもありません。そして思うのはフランス革命の暴虐も20世紀の戦争や虐殺の暴虐に比べれば子供だましのようなものだと言うことです。
 最後にポンパドゥール夫人の遺産とも言える薔薇のロココ芸術。文化芸術はもちろん豊かさあってのもの、時の民衆にその余裕は全くありませんでしたが、彼女は華麗きわまるロココ芸術を残しています。今は人類共通の財産となった芸術には彼女に感謝します。
 また髪型にもポンパドゥールと言うのが今もあってリーゼントのような型だそうですが、そう言えば上の画像はそんな髪型のような。

  画像左 ロココ調を代表する建築 ドイツのヴィースの巡礼教会
    右 フランス・セーヴィル焼きの磁器 夫人が庇護した
    中 ロココ調の絵画 「ぶらんこ」 フラゴナール
      
800px-Wieskirche_rococo_interior   1810_03
2010.04.26 / Top↑
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