上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
★ ヴェルサイユの薔薇シリーズは一時、中断します。 
 コルベ神父コルチャック先生、どちらも有名です。コルベ神父、アウシュビッツ収容所で一人の若者の身代わりとなり餓死室で殺されました。コルチャック先生、自らは助かったのに見守ってきた子供たちを見捨てることはできず、収容所で共に死んでいきました。このような人を思うと本当に言葉をなくします。すべての小賢しい評論は沈黙し、ただただ頭を深く垂れるのみです。「悪魔」さえかわいく思えるような狂気の時代、このような人が現にいた、それだけでやはり人間は崇高な存在にもなりうるのだと思いを新たにします。
 略歴は主にウィキペディアをまとめたものです。

Maksymilian_kolbe★ 「わたしを代わりに」 コルベ神父

 コルベ神父は日本に6年も滞在したことがあるのですね。長崎で熱心な布教活動をしています。貧しい食事と質素な衣服、熱烈な使命感に燃えていました。同時に来日したのがゼノ神父、彼は長崎では有名です。最後まで日本にとどまり、長崎では被爆しています。戦後も全国を回り、戦災孤児などの支援活動に挺身し、「ゼノさん」と誰からも慕われました。
 コルベ神父は1894年、ポーランドに生まれます。学生時代に聖母の騎士会を創設するなど、生涯敬虔なカトリック信徒でした。文も弁も立ち言論による布教活動に力を入れていたのですが、折からドイツのポーランド侵攻が始まります。ナチスはユダヤ人だけでなく、ポーランド人やロシア人なども多数収容所で殺害しています。ナチスに批判的な言動をとった神父はアウシュビッツ収容所に収容されます。1941年のことでした。
 収容されて2ヶ月後脱走者が発生しました。脱走者が出ればその班から10名を無作為に選び殺害するとの理不尽きわまる規則がありました。選ばれた一人の若い軍曹が「わたしには妻も子もある」と泣き崩れます。それを見た神父は「わたしは神父であり妻や子はない」と身代わりを申し出ます。餓死刑という最も悲惨な刑です。餓死室に入れられた神父は周りのものを励ましいつも祈っていました。通常ならば狂おしい断末魔に包まれる餓死室もまるで聖堂のような敬虔な祈りに満たされていたそうです。2週間たっても奇跡的に生き残っていた神父は注射によって殺害されました。1941年、47歳でした。輝くような安らかな顔だったそうです。

180px-Janusz_Korczak★ 「わたしも共に」 コルチャック先生

 コルチャック先生もポーランド人です。1878年に生まれます。医師であり作家でもある有能な人でした。コルチャックはペンネームです。子供を愛した先生はユダヤ人孤児院の院長を引き受けます。先生もユダヤ系でした。以後子供の教育に生涯を捧げると共に、優れた児童教育書をいくつも書いています。やがてドイツのポーランド侵攻が始まります。ユダヤ人孤児院も目をつけられ子供たちと共にゲットーに強制移住させられます。ゲットーでも先生は優れた著述を書いています。
 ついに先生たちはトレブリンカ絶滅収容所に収容されることになります。有名人だった先生は周囲が懸命に助命活動を行い、移送直前に先生だけ助けることをナチスも認めたのですが、先生は「子供たちだけを死なすわけにはいかない」と助命を拒否し200名の子供たちと収容所に移送され、まもなくガス室で殺害されました。1942年、64歳でした。
 のちの1989年、国連で採択された「児童の権利条約」はもともと先生が提唱した「子供の権利」に基づきポーランド政府が提案したものです。

★ これほど高貴たり得る人間がなぜ? 

 書きながら改めて本当に崇高な愛の人だと思います。抽象的な「人間」を愛することは比較的簡単でしょうが、目の前の一人の人間さえ真に愛しぬくことは困難なのだと、わたしの経験から思っています(^_^;)。
 コルベ神父は真の信仰者、もちろんあの行為も信仰が基礎であることは間違いないでしょう。「友のため命を捨てるほど尊い行いはない」との聖書の言葉をそのまま実践しました。いや、友ですらなかったのですけれど、もちろん神父にはそんなことはどうでもよかったのでしょう。不信仰者のわたしも強く心を打たれます。そして祈り。わたしは祈りなど何になるか、いや祈りなど自己の放棄だと思うのがホンネですけれど、餓死室が祈りに満たされ聖堂のようになっていたとの事実は心を揺さぶります。部屋の者たちはどれほど神父の祈りに救われ、共に祈ったか、容易に想像がつきます。わたしもその場にいれば共に祈るのでは、残念ながらそう思います。最後におのれのすべてを捨て去り、神、絶対的なものに魂をゆだねる、宗教の原点に戻る餓死室だったのでしょう。わたしには捨てきれない煩悩が一杯のようです。
 コルチャック先生は進歩的な人でした。信仰もあったと思うのですがあまり表に出ません。実践、理論、そして何よりも愛、本当にすばらしい人だと思います。当時、子供に大人と同じ人権を認めるという発想はありませんでした。先生が称えた「子供の死についての権利」、「子供の今日という日についての権利」、「子供のあるがままである権利」は本当に画期的なことであり、それから50年近くたって国連で高らかに宣言されました。
 800px-Yad_Vashem_BW_2[1] 先生は自らが称えてきた理論がここで逃げては崩壊すると思ったでしょうし、何より目の前の子供たちに最後まで寄り添いたい、その気持ちで一杯だったのでしょう。子供たちはどれほど喜び、 安らかな気持ちになったか、きっとこの世は地獄ではないと思い死んでいけたと思います。のちに作られた先生と子供たちの銅像、打ちひしがれた子供たちを包み込む先生の腕、感動的な群像です先生はきっと最後の瞬間までこうして子供を抱いていたのでしょう。(クリックで拡大)
 コルベ神父は1971年、「聖人」に列せられています。その式に出席した命を助けられた軍曹は家族を抱いて号泣したそうです。そののちも死ぬ間際まで神父のことを世界中で講演したそうです。
 優れた人の意思は死後もいつまでも人を打ち続けることを痛感します。死して命を伝えるまさに「一粒の麦」です。「唯物」信仰のわたしも人の精神の高貴さはけして疑っていません。 
2010.04.30 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://camus242.blog133.fc2.com/tb.php/187-766aaea6

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。