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280px-Dostoevsky_1872★ 「カラ兄」なる言葉を最近知りました。「カラマーゾフの兄弟」の略です。「カラキョー」と読むそうです。ドストエフスキー(1821~1881)の「ドスト」もあまり聞いたことはありませんでした。漫画になっていましたし、あの宝塚さえ上演しています。新訳は読んでないですが、最近亀山氏により新訳され文庫本5冊の長編にもかかわらず累計100万部という古典としては奇跡的な売り上げを示しマスコミでも注目され、さっそく、若者得意の短縮形がはやったのでしょう。読みやすいと評判です。何となくカラオケのイメージなのも頷けます。「ドス」ト「カラアニィ」とくればやくざ映画(^_^;)。いずれにしろ難解、長い、萎えるの3N、ドストの最高傑作と言われるものが広まるのはいいことだと思います。苦虫をかみつぶしたようなドストさんには申し訳ないですが、今回は「カラ兄」を不徹底に笑ってみたいと思います。

★ 長編一気読み 読者のしおり 

 大昔、なぜか金文字入りの「世界文学全集」のたぐいがはやりました。ようやく庶民もささやかな家を持てるようになった頃です。決まって洋間があり、そこにデーンと「世界文学全集」が飾ってありました。大きな本棚を置けばますます狭くなる安っぽい洋間です。うちでも母がミエを張って月賦で買いそろえました。でも今はほんとに感謝しています。ミエでも何でも世界の古典にふれることができました。「カラ兄」も当然あります。本はほとんどその後売ったりしているのですが、「カラ兄」といくつか残っていました。当時はしおりがついていて登場人物や関係図、親切にあらすじまで紹介してあります。ズバリ核心、読む前にこんなもん読んで大丈夫かいなと今は思いますが、そこはおおらか、とにかくそろえることに意味があったのです(^_^;)。このしおりよくできています。長大な作品読むよりはるかにいいかも。

「カラマゾフの兄弟」
   世界文学全集19 北垣信行訳の「しおり」より全文

 十九世紀の半ば過ぎ、ロシヤの田舎町に住む強欲で無信心で淫蕩な地主フョードル・カラマーゾフの家に父親にほうり出されてよそで育った三人の息子が帰郷する。先妻の子のドミートリイと、後妻の子のイワンアレクセイである。なおそこには町の白痴の娘に生ました隠し子のスメルジャコーフが料理番として住みこんでいる。
 ドミートリイは自分の遺産を横領した父と、町の商人の妾グルーシェンカのことで張りあい、いいなずけカテリーナから送金を頼まれていた三千ルーブリを二度にわたってモークロエ村でグルーシェンカと遊んで使いはたし、彼女の愛情をかち得る。2度めの豪遊の直前、グルーシェンカを捜しに行ったドミートリイは父の家で下男グリゴーリイを誤ってなぐり倒して気絶させてしまう。かねて主人に深い恨みを抱いていたスメルジャコーフはイワンの「すべては許される」という虚無主義的な考えに惑わされて、その晩癲癇の発作を利用して主人を殺し、金を奪って、その罪を巧みにドミートリイに転嫁する。ドミートリイは恋が成就した瞬間に嫌疑を受けて逮捕され、裁判に付される。イワンはスメルジャコーフに教唆したという罪の意識から発狂する。発狂寸前に法廷に立った彼はスメルジャコーフにその前日自白させて取り戻した金を証拠に提出して兄を救おうと自分の教唆の罪を自白するが、被告に恨みを晴らしたいカテリーナの反証が物をいい、名弁護士の奮闘も空しく被告はシベリヤ流刑を言いわたされる。

 驚きましたが「あさのぶんがく」という動画まであります(^_^;)。一応ストーリーは完結。2分もかからずたいしたものです。 


★ 2000年苦しんできた民衆 いつの日に… 

 まあ、ドストさんの例にもれず奇人変人オンパレードです。それぞれが演説のような長口上、つくづくロシア人はしっこいと思います。しかも名前がワカランスキー、最初は作品世界に入り込むのに苦労します。オヤジが強欲、好色、ふしだら、長男ドミートリイと女の取り合い、なんちゅうオヤジか。おまけにこれは現在差別語ですが「白痴」の女に産ませた子まで同居させこき使う。産ませた動機が「あの女とやることができるか」とおちょくられ「おー、やれるとも」と言って産ませたもの、無茶苦茶です。
 長男ドミートリイは軍人上がり、情熱家で単純、享楽家だが人はそう悪くない。次男イワン、理科系大学出身の秀才、無神論者でそれを突き詰め虚無的なところがあるが、けして冷酷非情ではない。3男、アレクセイ(アリョーシャ)、一応物語の主人公、清純無垢、修道院で修行し、兄弟にも深い愛を持つ。兄弟でこんなにも違うかと思いますが、ドストがそれぞれに典型的な意味を持たせたモデルと考えられます。
 当初は新聞連載されました。ロシア人はこんな小説を毎朝読んでいたのかと思うと、驚きます。ただあらすじにもあるように、ストーリーとしては父殺しのミステリーとも読めるし、込み入ってよく相手を変えるのですが、リーザやカテリーナなどの女性が兄弟に絡む恋愛物とも読めます。グルーシェンカをめぐる父子の痴話げんかもおもしろい。ただテーマはよく言われるように神、人間の罪、宗教、無神論、革命などの壮大なものです。そんな議論の一つのセリフだけで何ページにもなるような感じ、こんな議論を嫌う日本人は圧倒されます。この議論を省き、ストーリーだけに絞ったら数分の一に短縮されるでしょう。
 ドスト、生涯最後の力作、おもしろい筋立ての中に最も書きたかったのは神の意味だと思います。だがこれがまた日本人の大半はどうでもいいことでしょう。長々と神について語りますが理解するしないでなく、大方の日本人にとって真に迫るところは少ないと思います。しかし当時のロシアでは切実な問題でした。神を語ることは即政治を語ることであり、封建的農奴制が最も大きな問題となっていたロシアでは趣味ではなく生き方を左右することでした。わたしは3兄弟の中ではイワンが最も好きです。当時の農奴解放を目指した革命家たちを代弁しているのでしょう。一方アレクセイはそんな兄イワンを愛しながら懸命に神の愛をイワンに説きます。長大な物語、とてもこんな記事で全貌を書くのは無理ですが、物語のハイライトとも言えるイワンがアレクセイに議論をふっかけた場面を一部記載します。
 イワンは現実に起きた幼児虐待事件を取り上げます。トルコ兵が幼児を放り上げ銃剣で突き刺した話、お漏らしをした5歳の女の子を死ぬほど痛めつけた両親の話、ロシアの領主が飼い犬を誤って傷つけた子を猟犬でズタズタに食い殺させた話、これらをアレクセイに話し、幼児は全くの無原罪である、生まれたことが罪であるというなら何をか言わんや。このような残虐を子供は来るべき最後の審判の日まで耐え続けねばならないのか、来るべき神の「栄光」の日までこのような罪悪は許され続けるのか、そんな最後の審判、栄光の日などクソクラエ、現に泣き苦しむ子供を救わずして何が神の愛か。また狂い泣きして死んだ子供の涙は誰があがなうのか。人間の罪をあがない死んだキリストか、子供はそれを信じていたのか。
 また有名な劇中劇とも言うべき「大審問官」もとても興味を惹きます。アレクセイが作ったものです。中世のセルビアに何を思ったかキリストが姿を現します。住民は奇蹟を願い現に奇跡を行います。それを見た大審問官、キリストを捕らえ、キリストと対話します。
「おまえが死んで1500年、今頃出てこられたらはなはだ迷惑。おまえは今まで何をしていたのか。『人はパンのみにて生きるにあらず』と言ったおまえは結局民衆にパンさえ与えなかった。代わりに民衆に、天上のパン、自由を与えたと言うのならひどい欺瞞だ。民衆は自由を恐れる、自由に耐え得ない。民衆はうやまう者を永遠に求める。地上のパンを与える者が民衆の神だ。パンはわたしたちの教団が長い間苦労して秩序を作り上げ、民衆に現に与えている。おまえの名をもって、しかも苦悩と共に。これ以上私たちのじゃまをしないでくれ」
 そう言われたキリストは無言で大審問官に接吻するだけです。話を聞き終わったアレクセイは興奮して反論しますが最後、彼もイワンに接吻します。
 お===お~~~、絶世の美女のめくるめく接吻ならこの世を捨ててもいいかもしれない。汚ねえオヤジや弟にされたところで(^_^;)
  
★ ドストの真意 真の勝利者
  
(写真は有名な当時の農奴のものです)nodo 

 ドストは若い頃革命サークルに入り、危うく処刑される直前で助かります。この体験はその後の彼に決定的な影響を与えます。転向したドストのホンネは大審問官にあると思います。また大審問官は大地主として支配階級化していたロシア正教教団、王の上に君臨したローマ法王の皮肉でもあるでしょう。教団や法王は生のキリストを最も恐れていたと思います。遠藤周作の「沈黙」を日本の教団が恐れたように。子供の話はまさにその通り、初期に「貧しき人の群れ」など佳作を書いたドストのヒューマニズムです。
 大審問官の論理は現実を突きそして寂しいです。確かにキリストは当時1500年、今では2000年、いや「人類」の誕生からだと数万年、ついに民衆にパンを与えきることはできなかった。今でも毎日数万の子供が飢えで死んでいきます。それは来るべき神の栄光の試練、そのような世迷い言は絶対に受け入れることはできません。イワンが言うようにそのような栄光、試練なぞクソクラエ。「神の王国」は今度は当たる宝くじ、スカの山ばかりで気がつきゃ破産と同じです。ただ民衆は地上のパンを与えておればいい羊の群れ、それは事実かも知れませんがいかにも寂しく傲慢です。ドストはそのように民衆に絶望していたような気もします。逆説の逆説です。のちにパンだけは与えたソビエト社会主義共和国が無惨に崩壊したことを見れば、やはり人はパンのみにて生きるのではないことも確か、大審問官の論理も破綻したのです(いや、ソ連の崩壊はパンにつけるジャムが貧しかった。単にパンの問題だったという気もしますが)。大審問官の言い方はスターリンによく似ています。その意味ではドストはものすごい予言者です。
 こんな荒っぽい感想より、「大審問官」の項だけでもお読みになることをお勧めします。ここにあります。
 「カラ兄」はけしてイワンの勝利では終わりません。フョードルを殺したのはフョードルが「白痴」の子に産ませたと噂されるスメルジャコーフでした。しかも罪を長男ドミートリイになすりつける工作までする悪辣さです。スメルジャコーフはイワンの思想に感化されていたのです。「神がなければすべてが許される。父を殺したのはそう言ったおまえだ」、生まれたこと自体を憎むスメルジャコーフはイワンに言い放ちます。イワンは苦しみ狂います。スメルジャコーフはドミートリィに判決の出る前の日、首をくくります。しかしドミートリィの有罪は覆らずシベリアに流刑されます。結局最後に残ったのは神の僕、アレクセイでした。
 これがドストの結論なのでしょうか。これは、善のためには悪を殺してもいいと金貸しの老婆を殺した「罪と罰」ラスコーリニコフが、敬虔な娼婦ソーニアによって回心したのに似ています。ドストは幼い子供を亡くしています。その名がアレクセイでした。子供への鎮魂が同じ名をつけさせたととれます。また死により実現しませんでしたが、ドストはカラ兄の第二部構想がありました。(あれより長く、あきれますが(^_^;))。それではアレクセイに皇帝暗殺をさせる構想であったと言います。神の僕、アレクセイはテロリストになるのです。現に皇帝アレクサンドル2世はドストの死の直後、暗殺されました。
 新訳の亀山氏も述べているそうですが、アレクセイの勝利はドストの偽装ではないかという気がします。何より彼は転向者でした。転向後も警察の監視はやみませんでした。勝利したイワンを描けば即発禁になったと思います。また賭博好きで何度も破産したドスト、現実にカネを必要としていたのも間違いありません。多くは新聞小説なのです。まず売れることを考えるのは無理もないと思います。最後に狂ったイワンは結局冷たい論理に生きていける男ではありませんでした。柔らかい心を無理に武装させていたのです。ドストはイワンに最も共感していたような気がしてなりません。勝利したように見えるアレクセイも結局イワンの道を進みます。
 アレクセイの勝利は偽装、イワンの論理も破綻となれば真の勝利者は長男ドミートリイなのでしょうか。彼は当時のロシアでは最も多い民衆の典型でしょう。今の日本でもそうだと思います。なんら形而上のことに苦しまず、できるだけ現世を享楽し死ぬまで生きる、わたしであり多数のあなたなのだと思います。そうなるとあの長ったらしい物語を苦労して読んだのは何だったのか、当たり前のことを知るだけ。神は生かさず殺さず、世渡りの秘訣を確かめただけ(^_^;)。
 かの村上春樹氏も最も影響を受けた本にあげ、何と「人はカラ兄を読んだことのある者、ない者と二分できる」とまで言っています。まあ、その言い方なら、「人はなまこを食べれる者、食べれない者に二分できる」、何とでも言えますけれど。どうもホンネは春樹さんを読んだ者、読んでない者に二分できると言っているような。ファンの方には失礼ですけれど(^_^;)。
 
 
長い記事におつきあい、本当にありがとうございました。

 
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

2010.05.03 / Top↑
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