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★ 「ずばり解決3つの処方」、解決するでしょうか(^_^;)。まあ、世にあふれる「あなたを幸せにする12の処方」なんたらいう本よりはるかに目から鱗がボロ落ちしたのは間違いありません。3つのうち、どれを選ぶかはもちろん自由ですが、どれもきついです。だがこれも人間の運命とあれば受け入れるしかない。抽象的で浮世離れしているような”哲学”が実際、生きる強い指針になることを実感しました。かってフランクルの「夜と霧」と共に大きな影響を受けた著作について書きます。 

★ 意味なき世界に人間は死に物狂いで意味を求める

 499PX1今はほとんどかえりみられませんが、アルベール・カミュ(ウィキペディアへ・1913~1960)というフランスの作家がいます。「異邦人」などの小説で一時は世界的に流行し、戦後最年少でノーベル文学賞をもらっています。評論集に「シーシュポスの神話」というのがあります。ご存じの方は多いと思いますがシーシュポスはギリシャ神話のアンチ・ヒーローです。神の怒りを買い、大岩を山の頂上に運び上げる”仕事”を永遠に課されています。頂上に運び上げた大岩は直ちに転げ落ち、シーシュポスは再び運び上げねばなりません。それが未来永劫続くのです。それほどの罰を受けるシーシュポスが何をしたというのか。火を人間に与えたプロメテウスも永劫の罰を、神ほどのマゾはおらんです。
 180px-Sisyphus_by_von_Stuckカミュは人間は不条理を生きるシーシュポスだとしています。意味のない岩の運び上げを永遠に課されたシーシュポスの罰が人間の罰だと言います。わたしは本当に強い影響を受けました。キリスト教や仏教などに救いを求めたこともある人並みの迷える青春でした。
 当時実存主義が流行していました。カミュやサルトルは大きな影響を与えます。世界に調和を求め意味を求めてきた西洋哲学、宗教の根本的な転換でした。調和なく、意味なき世界に、死に物狂いで意味を求める矛盾―この矛盾が不条理―に引き裂かれた人間の哲学です。自由=孤独=決断の思想でした。
 カミュはシーシュポスを人間の英雄としています。無意味な神の罰にたじろぐことなく、毎日毎日転げ落ちる大岩を頂上に運びます。”これでよし!”、泣き言も言わず運命を受け入れ、雄々しく顔を神に向けび運び上げます。抽象的な議論でなく、報われない労働に追いまくられ疲れ切った多くの人、理不尽な病気に長く苦しむ人などなど、不条理はこの世に満ちています。
 色んなものをかじってこの世界に本質的な意味のないことは信念となっています。人間は無意味な世界に無意味に投げ出されているのです。しかも有限の命と共に。しかしそれでも無意味な世界を無意味な行動で雄々しく人間は生きるべきである、それが本当の人間の自由であるとの思想は今も変わりません。意味を見いだすのはおのれしかいません。おのれがおのれだけの意味を作り出すのです。人が、神がどう思おうと知ったことではありません。シーシュポスは何のために岩を押し上げるかは考えず、きっと押し上げること自体に意味を見いだしたのでしょう。
 Kierkegaardカミュも実存主義哲学の先駆と言われるキルケゴール(ウィキペディアへ・1813~1855)も期せずして同じことを言っています。無意味な生から逃れる方法は3つある一つは自殺、一つは信仰、そして今一つ、無意味を敢然と受け入れる。自殺は不条理に同意すること、負けることと二人とも否定しています。カミュは「生に追い抜かれてしまったと、あるいは生が理解できないと告白する事」だと述べています。キルケゴールは第二の道を選びました。「不合理故にわれ信ず」という言葉があるように、おのれのすべてを投げ出し神に救いを求めました。信仰は論理からの跳躍、キルケゴールは自ら決断し神に賭けたのです。400年近く前すでにパスカルは「理性によって神は認識できなくても、神が実在することに賭けても何も失うことはなく、むしろ生きる意味が増す」と述べています(「パスカルの賭け」)。
 自殺願望につかれていたカミュは第三の道を選びます。フランスの植民地アルジェに生まれ、父は幼いころ戦死、母は聴覚障害者であり、極貧の生活、自身も若い頃大病で生死をさまようという文字通り不条理に生きました。しかし彼は多くの作品を書き、ナチスに対するレジスタンスに身を投じ、精一杯おのれの生きる意味を探りました。わずか46歳で交通事故死という最後も不条理きわまるものでした。
 みなきつい道ですが第三の道もこたえます。英雄的なシーシュポスの労苦に比べたら子供だましでしょうが、わたしも運命を受け入れせめて小石なりと運び上げねばと思っています。水と食料はたくさん持って(^_^;)

★ ごまかさず矛盾を見つめ そしてなお生きよ!

 神の存在は証明不可能であることは200年以上も前にカントが精密に論証しています。逆に神のいないことも証明不可能です。
いつか書きましたように(「悪魔の証明」)ないものをないと証明することは論理的に不可能です。結局人間にとりどうでもエエのです。ただ先に書きましたように自ら選び取る信仰は人間の自由な決断です。
 宇宙の整然とした美しい動きはわたしも信じられぬ驚異です。しかしそれも数百億年の宇宙の動きが自ずから定まったものであると思えば、「神の一押し」を考えることは何も必要ありません。宇宙に引力があれば星が球体になり、星の軌道が定まることも当然です。命の発生は実験室でさえ再現可能です。また、
これも前に書きましたように(「CP対称性の破れ」)、逆に宇宙はきわどい差で存在していなかった可能性も大きいのです。宇宙そのものが無意味に投げ出されているのです。また万一、神が宇宙を動かしているとしても、個々のはかない、ひ弱な、哀れな人間にとり何も意味のないことです。
 この世に意味を与えるのはやはり、神、絶対の存在者でしょう。それがないとすれば、いやあっても人間にとり無意味だとすれば、あとはおのずと孤独に一人、「必死に生きるか 必死に死ぬか」しか残されていません。見返せ!不条理を!
 カミュは人間の矛盾―不条理をごまかすのではなくそれを見つめ、なおかつ生きろ!と人間を鼓舞します。暗闇から発するすばらしいヒューマニズムだと思っています。
 わたしが前回の「レナードの朝」で嫌いなのは医師が一人の人間に新たな”生”を与えたことです。いわば神となったのです。しかも明らかな失敗作でした。神がそうであるように医師は責任もとっていません。無意味に投げ出された人間一般と違いレナードは明らかに意味を持つように生み出されたのです。無意味に投げ出されたら、仕方なく大半の人間は死ぬまで生きるしかありません。勝手に意味を持たせた人間の意思で投げ出され、責任もとられることなく、たった一夏で闇に戻っていったレナードはやはり悲惨です。今、原作を取り寄せていますが実際はポーラという女性は原作にもなく映画の中だけに存在するそうです。そうだろうと思います。あんな物好きな女性が現実にざらにいるはずありません。しかし映画としてはポーラの存在に大きな意味があります。映画のレナードはポーラにつかの間の生きる意味を見いだしました。芸術作品は現実を超越する、そこはよくわかりすばらしい作品だと思っています。
 ただ、現実に存在したレナードは訳のわからぬうちに目が覚め、浦島太郎のように老いを嘆き、また訳のわからないうちに闇に沈んだのです。ほかの19名の患者と同じように意味を見いだすヒマもなく。ただ母だけに痛切な悲しみを残して。

 カミュの言葉です。まさに侮蔑によって乗り越えられぬ運命はない、絶望より怒りを!

「いつ終わるとも知れない責苦を嘆く日もあるだろうが、突然射してきた月の光や、足元に咲いた花に微笑む事もあるかもしれない。与えられた罰を嘆くのではなく、そのすべてを、岩さえも自分の所有物としてしまう。今、ここに在ることをそのままの状況で受け容れた時、かれは自分の運命にたち勝っている。かれはかれを苦しめるあの岩より強いのだ

「この神話が悲劇的であるのは、主人公が意識に目覚めているからだ。きっとやりとげられるという希望が岩を押し上げるその一歩ごとにかれをささえているとすれば、かれの苦痛などどこにもないということになるだろう。こんにちの労働者は、生活の毎日毎日を、同じ仕事に従事している。その運命はシーシュポスに劣らず無意味だ。しかし、かれが悲劇的であるのは、かれが意識的になる稀な瞬間だけだ。ところが、神々のプロレタリアートであるシーシュポスは、無力でしかも反抗するシーシュポスは、自分の悲劇的な在り方をすみずみまで知っている。まさにこの悲惨な在り方を、かれは下山のあいだ中考えているのだ。かれを苦しめたにちがいない明徹な視力が、同時に、かれの勝利を完璧なものたらしめる。侮蔑によって乗り超えられぬ運命はないのである

人にはそれぞれの宿命があるにしても、人間を超えた宿命などありはしない。ただ一つ、人間はいつかは必ず死ぬという不可避なもの、しかも軽蔑すべき宿命をのぞいて」

「死への絶望なしに生への愛はありえない」

「幸福とは、それ自体が永い忍耐である」

「意志もまた、一つの孤独である」

「重要なのは病から癒えることではなく、病みつつ生きることだ」

「ぼくはシーシュポスを山の麓に残そう!…このとき以後、もはや支配者をもたぬこの宇宙は、かれには不毛だともくだらぬとも思えない。この石の上の結晶のひとつひとつが、夜にみたされたこの山の鉱物質の輝きのひとつひとつが、それだけでひとつの世界をかたちづくる。頂上を目がけるその闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに十分たりうるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ

シーシュポスの神話 (新潮文庫)
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おすすめ度:4.0

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2010.05.11 / Top↑
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