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★ シャンソン「赤いポスター」です。歌うアナーキスト、レオ・フェレが曲をつけ歌っています。いい歌です。「私のメリネよ 愛するメリネ…」と歌いながら泣いています。なぜいい年のおっさんが泣きながら歌っているか記事を読んでいただくとわかります(^_^;)。このような歌を愛し続けるフランス人を心から尊敬します。フランスの詩人アラゴンの言うように今なお「神を信ずるものも 信じないものも」マヌキアンたちを人間の誇りにしています。隣のパン屋のおじさんが、カフェのお兄さんが命をかけて闘いました。当時の実写画像が生々しいです。



   神を信じた者も
   信じなかった者も
   ドイツ兵に囚われた あの
   美しきものをともに讃えた…   ルイ・アラゴン


 記事は1通の遺書と遺書をもとに創られた詩です。説明はできるだけ少なくして、原文そのものを読んでいただきたいと思います。ナチスに占領されたフランスで、レジスタンスに挺身し処刑された人の記録です。ギー・モケは処刑時、わずか17歳、まだ子供です。ほんとうに驚嘆します。銃殺を前にこの若さで、家族と同胞を思いやり死んでいきました。一方はミサク・マヌキアン、フランスで抵抗運動に命を捧げますが彼はアルメニア人です。妻に、わたしの死後は幸せにできる人と結婚し、子供を産んでくださいと訴え、ただただ残されるものの平安を願う精神の高貴さ、わたしの惰弱な心を打ちます。

★ 僕の子どもの心にあるすべてを込めて… ギー・モケ 

 
guiギー・モケの手紙は最近フランスのサルコジ大統領が愛国教育に利用しようと高校での朗読を半ば強制し、ニュースになりましたのでご存じの方もいると思います。しかしそこはフランス人、歴史的背景の説明なしに手紙だけを強制することに多くの教員・高校生が反対しました。ギー・モケを最大に評価しているにもかかわらずです。さすがと思います、フランス人に強制は禁物それにしても日本で言えば首相が小林多喜二の手紙を強制するようなもの、考えられないです、というかフランスに「愛国者」は左翼しかいなかったのでしょう。
 ギー・モケは1940年、パリで反ナチスの非合法ビラを配布しているとき逮捕され翌年、26名の共産党系同士と共に処刑されます。わずか17歳です。「最後に。あなたたちすべてが、わたしたちに、これから死んで行く27人にふさわしい存在であり続けてください!」、精神の高貴さに深く頭を下げます。伝えられる話では彼は処刑直前、失神したそうです。さもあらんと思います。写真のようにまだかわいい坊やです。「僕は生きたかった」、「勇気を出して!」、本当にむごいです。彼のやったことはただビラを配っただけです。いかに気を張って死にむかったことでしょう。処刑される夫に会いに来た女性がギー・モケのあまりの純真さに身代わりを申し出たという話も伝わっています。彼の父もレジスタンスに身を投じ投獄されています。現在もフランスの多くの駅や通りに彼の名がつけられ、その精神が伝えられています。

「僕の大切なお母さん
 僕の大好きな、可愛い弟
 僕の愛するお父さん

 僕はこれから死ぬのです!僕があなたたちに、なかでもお母さん、あなたにお願いがあります。それは毅然としていてほしいということです。僕は毅然としています。そして僕の前に殺された人たちと同じくらい毅然としていたいのです。もちろん、僕は生きたかった。でも僕が心から願うことは、僕の死が何かに役立ってほしいということです。僕にはジャンに接吻する時間がありません。僕のふたりの弟、ロジェとリノには接吻しました。しかし本当にはできません。ああ!僕の身の回りのものすべてが、お母さんに送られることを望みます。それはセルジュに役立つでしょうから。僕はセルジュが、ある日それを持つことを誇りに思うことを願っています。お父さん、あなたに。もし僕がお母さんを悲しませたと同じくらいお父さんを悲しませたとしたら、僕は最後にもう一度あなたに別れの挨拶をします。あなたが僕に指し示した道を、僕は最善を尽くして歩いてきたということをわかってください。
 最後の別れを、僕のすべての友達に、僕が大好きな弟に。(立派な)男になるように、しっかり勉強をするように。17年と半年、僕の人生は短かったけど後悔はしていません。僕は叔父さん、ミッシェルと一緒に死んでいく。お母さん、僕があなたに望むのは、僕があなたに約束して欲しいのは、気をしっかりと持つこと、そして悲しみをのりこえることです。
 もうこれ以上書けません。僕はあなたたちみんなに、おかあさん、セルジュ、お父さん、
僕の子どもの心にあるすべてを込めてあなたたちに接吻をしながら、僕は去って行きます。勇気を出して!
  あなたたちの愛した、あなたたちのギィより。
                   ギィ
  最後に。あなたたちすべてが、わたしたちに、これから死んで行く27人にふさわしい存在であり続けてください!

                                           (翻訳 jeanvaljeanさん)

★ 人生よ 光よ 風よ これが最後の別れだ

 アルメニア人
も迫害の歴史を持っています。ノアの箱船が流れ着いた430PX-~1という伝承を持つアララト山のある西アジアの国ですが第一次大戦時、トルコにより100万近い人々が虐殺されたと言われています。ミサク・マヌキアンはアルメニア人です。虐殺で父を失った彼はフランスに渡り共産党員として対ナチス・レジスタンスに挺身します。しかし逮捕され同士23名と共に銃殺されます(動画にも出てくる女性1名は斬首)。彼らは目隠しも拒否し「フランス万歳!」と叫びながら死んでいきます。フランス解放、わずか1年前です。処刑されたのはフランス人は3名だけで、あとはスペイン人やイタリア人などでした。国際的に連帯してナチスと戦っていたのです。
 のちにルイ・アラゴンはミサク・マヌキアンと共に処刑された22名を悼んで「赤いポスター」の詩を書いています。その後、レオ・フェレにより曲がつけられ、今なおフランスで広く愛されています。彼の名もパリの通りに残っています。
 彼は妻に手紙を残しています。「死ぬ瞬間、私はドイツの民衆にも誰にもいかなる憎しみも持たないことを宣言します」、「愛するメリネ、愛する孤児メリネ…戦争の後、必ず結婚して、私の幸福のために子どもを産んでほしいと私はきみにお願いします。そして、私の最後の望みをかなえるために、きみを幸福にできる人と結婚してください」、死を前にこれほどの手紙を書けるのです。言葉が真に生きるとはどのようなことか痛感します。
 ミサク・マヌキアンの最後の手紙をもとに歌われた「赤いポスター」の一節です。

「皆に幸いあれ、生きのびる者たちに幸いあれ
私はドイツの人々への憎しみはいだかずに死ぬ
苦しみよ 喜びよ 薔薇よ これが最後の別れだ
人生よ 光よ 風よ これが最後の別れだ
後々エリヴァンで何もかもが終わったとき、
きみは美しい現実世界にとどまるのだから
結婚し 幸せになり ひんぱんに私のことを思い出してほしい
冬の大きな太陽が丘を照らしている
自然はなんと美しいのだろう しかし 私の心は張り裂けている
しかし 正義がわれわれの勝利の歩みの上にやってくるだろう
私のメリネよ 愛するメリネよ 私の孤児よ
どうか生きて、子どもを産んでほしい」

              (ルイ・アラゴン 翻訳 村野瀬 玲奈さん)

※ おまけです。詩と曲を作り歌うレオ・フェレ、77歳でなくなる前まで意気軒昂。おフランスのシャンソンと違いシャンソンのパンク、やっぱ顔が不敵にアナーキー(^_^;)
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2010.05.13 / Top↑
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