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★ もう何度も書きましたので耳タコと思いますが、戦争から帰り真っ先にすること、フランス人は妻の手を取り寝室へ、イタリア人は人妻の手を取り寝室へ。人間的です。ちなみに日本人は近所に挨拶回り(^_^;)。ヘタリアという漫画があります。ご存じの方多いと思いますが、戦争でのイタリア人のへたれぶりを書き、とてもおもしろいです。しかしでございます。イタリア人も第二次大戦ではファシズムに抗してパルチザンとして勇敢に戦っています。イタリア人はイタリアは自分たちで解放したと大きな誇りを持っています。要するに命令されて集団で闘うときは徹底的にへたれ、個人の尊厳をかけ戦うときは驚くほど勇敢、日本人とはおよそ正反対の民族性のようです。日本ではあまり聞きませんがパルチザンの愛唱歌さらば恋人よ」は今なお世界中で歌われています。親しくしていただいているブログさんで知ったのですが、天才ピアニスト、ミケランジェリもパルチザンに参加し、ピアニストの命、腕を負傷しているのですね。心から尊敬します。
(漫画はサイト「ヘタリア」さんより)

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★ 戦場では何はなくてもパスタ! 

 まあ、確かにへたれでございます。かって全ヨーロッパはおろか西アジアまで征服したローマ帝国の子孫とは思えぬへたれぶり、いくつかエピソードをご紹介します。(「
イタリア軍はなぜ弱いのか?」より)
● アフリカ戦線。イタリア軍部隊から救援要請があったのでドイツ軍中隊が戦力をさいて救援に向かった。「おー、グラーチェ」。イタリア軍は砂漠でパスタをゆでるため貴重な水をふんだんに使い、飲料水がなくなり、ドイツに救援を求めていたのだ(^_^;)
● 第二次世界大戦後、ユーゴパルチザンの捕虜になったドイツ兵はあくまで頑固で拷問にも屈することなくセルビア人の怒りをかったが、イタリア兵はすぐに泣いて許しを請うので拷問がとまった。
● わたしも見たことありますがケニアにはケニア山というアフリカ第二の高峰があります。イギリス軍の捕虜となり毎日ケニア山を見ていたイタリアの3人の捕虜、ある日脱走した。そしてやったことが。せっせとちょろまかしていた食料を持ってケニア山に何と初登頂。登ったらすました顔でまた収容所にご帰還。イギリス軍もあきれたとか。
ブラボー!
 ナポリでは丸ごと軍艦一隻かっぱらわれている。盗まれる軍人もへたれなら、ナポリのかっぱらいはものすごい(^_^;)
 まあ、イタリアは「10%の真面目な国民で支えられている」そうですけれど(^_^;)。ファッションショーのような派手な軍服を着て大量のワインやフルコースのイタリア料理を戦場に持ち込み、まあこれじゃ負けますわ(^_^;)。けれど何と人間的、うまいもん食って、女の子にちょっかい、これが人間じゃ。「ヘタリア」はイタリア人をおちょくっているようで実はいつも青筋立てているドイツ人や日本人をおちょくっているようです。イタリア兵は戦場でも驚くほどヒューマンです。そして調子がいい。生き残るすべを知っているのでしょう。第二次大戦でも終始要領よくというか、勝つ方についていっています。
 第二次大戦への参戦を決めたのが、フランスがドイツに敗北する直前、バスに乗り遅れるなと火事場泥棒で参戦しています。ちゃっかりドイツのあとについて、パリジェンヌをナンパしまくり、フランス料理食いまくり。それからもドイツにとってはお荷物でしかなかったでしょう。たびたびイタリア軍救出に出動しています。戦争終結時のイタリアは複雑きわまります。
 アメリカなどの連合軍が1943年7月イタリア・シシリー島に上陸します。ゲンキンなもので情勢の不利を悟ったイタリア国王はムッソリーを解任しパドリオ将軍に政権を任せます。山荘に幽閉されたムッソリーニをドイツのスコルツェニー中佐たちがグライダーで急襲し、救出したのは映画「鷲は舞い降りた」でも有名です。こんな作戦を成功させるドイツ人やはりはすごいです。自国領で少数のグライダー部隊にけ散らされたイタリア軍は相変わらずへたれですが。
 9月には連合軍がイタリア本土に上陸します。時のパドリオ政権はあっさり降伏し、今度はドイツに宣戦布告、変わり身の早いこと。まだ日本もドイツも激戦中です。激怒したヒトラーは何とイタリアを占領、かっての日独伊三国同盟はめちゃくちゃです。ドイツはしぶとくムッソリーニを首班に別の政権を作りイタリアは内戦状態におちいります。イタリアのパルチザンはムッソリーニ全盛の頃から、レジスタンス活動をやっていたのですが、ここに連合国と提携しドイツと戦います。不利を悟りスイスに逃げようとしたムッソリーニを捕獲したのはパルチザンであり、直ちに処刑されムッソリーニの遺体はミラノの広場に吊されます。かくしてイタリアは解放され、ちゃっかり戦勝国の地位を得たのです。戦後イタリアンリアリズムの映画が多く作られました。「無防備都市」も忘れられない映画です。神父がパルチザンを支援し銃殺されます。イタリア兵は神父を殺せずわざと的を外します。ここにも「神を信じるもの 信じないもの」の連帯がありました。

★ 「さらば恋人よ」 今なお歌い継がれるパルチザン歌

 これがイタリア人の哲学なのでしょう。調子のエエこと。ナチスより早くファシズム体制をとり、ドイツが強いときは尻馬に乗り、負け出すといち早くドイツに宣戦布告。ドイツは何度もイタリアを助けており同盟国と言うよりドイツの足を引っ張ったようなものです。
 イタリア人は最もファシズムや戦争には遠い民族なのだと思います。それがあのように結集したのはムッソリーニの大言壮語が生んだ幻想に酔わされたからでしょう。それだけ国民は貧しく打ちひしがれていたのだと思います。ドイツも全く同じ、第一次大戦の敗北による地獄を何とか脱出したかったのだと思います。貧しさは戦争に結びつく、大きな歴史の教訓です。
 集団で戦う戦争は上記のように信じがたいへたれですが、個人個人の意思による戦いは目を見張るものがあります。パルチザンは厳しい戦いを何年も続け多くの民衆が命を落としています。こんな歴史はドイツにも日本にもありません。華美な軍服で戦場にワインや豪華なイタリア料理を運び込んだイタリア人も一人一人の意思による戦いでは驚くほどストイックに戦い抜いています。それが本当の人間の強さなのでしょう。
ヘタリア 万歳!
 「さらば恋人よ」はパルチザンに歌い継がれた歌です。もともとは古いイタリアの民謡のようですが、悲しみを込めたとてもいい歌で大好きです。ピアノの演奏曲がありましたので、しばしご鑑賞ください。日本でも一時はやりました。今でも世界中でその国の言葉に翻訳され、民衆の戦いのあるところ歌われています。
 Bella Ciao で検索されれば歌入りのがたくさんあります。

  
ある朝目覚めて さらばさらば恋人よ
  目覚めて我は見る 攻め入る敵を
  われをも連れ行け さらばさらば恋人よ
  つれ行けパルチザンよ やがて死す身を  
  いくさに果てなば さらばさらば恋人よ
  いくさに果てなば 山に埋めてよ

  埋めてやかの山に さらばさらば恋人よ
  埋めてやかの山に 花咲く下に

  道行く人々 さらばさらば恋人よ
  道行く人々 その花賞でん


 
2010.05.15 / Top↑
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