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20100127_1487015★ 「レナードの朝」、ストーリーは一見前に書きましたアルジャーノンに花束をに似ています。奇跡的な治療により回復した人がまた「もと」に戻っていく。大きな違いは「レナードの朝」は実話に基づいていることです。この映画は前に記事にしました精神科医、オリバー・サックスのノンフィクションをもとにしたものです。切ないを通り越してたまらないラストです。現実の残酷さが心に刺さります。作品としてはすばらしいと思います。「タクシードライバー」で迫真の演技のロバート・デニーロ主演、俳優の凄さも知りました。本当にすごい演技です。作品の受け取り方はもちろん人それぞれです。その受け取り方にその人の人生観が出るように思いました。レナードははたして幸せだったのか…

★ 短い「生」 すべてが愛おしく… (ネタバレです)

 今ではあまり見られないが、1920年頃
嗜眠性脳炎(いわゆる"眠り病")がアメリカに流行した。当時世界的に猛威をふるったインフルエンザの影響と言われるが原因は不明である。意識が全くなくなったわけではないが体を動かすことも話すこともできず眠ったままになる恐ろしい病気である。セイヤー医師(原作者オリバー医師)はこの”眠り病”の患者レナード(ロバート・デニーロ)に新薬の投与を決断する。ほかの同じ症状の患者に時に人間的反応があり、症状がパーキンソン病に似ていることもあり、パーキンソン病の新薬L・ドーパミンが効くのではと思ったのである。1969年のことだった。
 劇的な効果を発揮した。小学生の頃から30年、眠りっぱなしのレナードが奇跡的に目覚めた。30年ぶりの世界にうろたえ戸惑いながら目覚めるレナード、感動的なシーンです。喜んだセイヤー医師は同症状のすべてに投薬を行おうとする。正式に認可された薬ではなく病院は反対であったが理解者も少しづつ増えていった。
 レナードの母も感涙にむせび喜んだが、当初の感激が薄れたレナードは次第に戸惑いを多くしていった。30年ぶりの現実、かわいいイメージであった自分もしけた中年になっている。しかし失われた長い年月を取り戻すため精一杯人生を楽しもうとする。40過ぎた男の初めての青春だった。セイヤー医師も懸命にそれに応えようとする。レナードは賢い男で医学的にも自分のデータを生かそうとセイヤー医師に協力し、二人は強い絆に結ばれたようであった。
 しかし、破局は徐々に近まっていた。新薬の効果は恒常的なものではなく副作用ももたらしていた。レナードも痙攣やチック症が出てくるようになる。ほかの患者も同じで当初のセイヤー医師への感謝は反感に変わっていく。セイヤー医師も焦っていた。結局元に戻るのではないか。このまま投薬を続けるべきか。
 レナードは荒れてきた。もとの眠り病に戻る予感が彼を苦しめた。今度ははっきりした恐怖のもとに病を迎えるのだ。レナードは病院に父の見舞いに訪れていた女性、ポーラに淡い恋心をいだき話をするのが最大の楽しみだった。しかし、病状を察したレナードは断腸の思いでポーラに「会うのはこれが最後にしてください」と言う。心優しいポーラは彼の思いを察しダンスに誘う。病状が進むことは彼女も知っていた。レナードにとり生まれて初めてのダンスだった。ポーラにリードされ腰に手を回し踊るレナード、手の痙攣も収まっていた。
 彼女が去っていく。病院の窓から見送るレナード、体は痙攣していた。
 やがて彼は再び覚めることのない眠りに落ちていった。

★ 凝縮されたよろこび しあわせ そしてかなしみ

 ダンスシーン、映画史上指折りの名場面と言われます。確
lenardかに確かに、涙、涙です。お互いが心の内を知りながら口には出せず、一張羅を着込みぎこちなく踊るレナード、優しく笑いリードするポーラ、くーぅっ、こんな優しい人に生涯一度でいいからリードされたい(^_^;)
 しかし、しかしでござります。これほど残酷なことがあるのでしょうか。当初の発症は子供の頃、それこそ眠るように病に落ちたのでしょう。”眠り病”の30年も完全に意識がなくなるわけではないようですので考えたら怖いことですが、映画の中でレナードは「なにもなかった。死んでいたようなもの」表現しています。(また入らぬことですが、これは魂の不在も証明していると思っています。意識がなければ魂もないのです)。原作も読んでいないし医学的なことはわかりませんが、レナードの意識としては死からよみがえったのです。わずかな”生”のあと、今度は意識して”死ぬ”のです。ポーラが、母が、いやこの世のすべてのものがどれほど愛おしかったでしょう。現実のレナードのモデルの患者さんは1981年、完全に亡くなったそうです。
 確かにわたしたちすべては執行時期不明の死刑囚です。最後、きっとレナードのようにこの世のすべてを愛おしんで死んでいくのでしょう。レナードはそれを凝縮して極めて短期間で”生き”、”死んだ”のです。最初に述べましたようにこれから先の思いがその人の人生観で変わると思います。短期間に人の愛を、この世の愛おしさを知ったレナードはたぐいまれな幸せな人であったと思うこともできるでしょう。ポーラや母はその象徴、ポーラたちに深く感謝して眠っていったのかも知れません。人生結局最後は思い出でしょうから、追憶の結晶を抱いて別れを告げた、わたしもそう思いたいです。
 一方、「死んだように」眠っていたレナード、この世に再び”生まれ”、痛切な悲しみを抱いてまた眠りについたとも思えます。”生まれ”たのは悲哀と一人去る残酷な孤独を感じるためだったのか。この世を愛すればこそ別れいく辛さはたまらなかったでしょう。ポーラには狂いたくなるほどの未練も残したと思います。凝縮されているからこそ癒しの時間も成長もなかったでしょう。それが聖人ならぬ人間だと思っています。わたしなら起こしてもらいたくなかったそんな悲しみを知るため、まわりにも悲しみを残すため、突然切断される人生を知るためわざわざ起きたくはない、そう思います。
 読者の方はどう感じられるでしょうか。結局根本的な人生観によると思います。わたしの思いは結局、もともと生まれない方がよかったになるのはよくわかっています(^_^;)。自己嫌悪に落ちたセイヤー医師を優しいナースが慰めます。「命は与えられ奪われるもの」、この言葉をどう受け止めるか。わたしもまだまだ考えねばと思います。
 最後に、原作を読んでいないし、実際どうだったか知りませんが、少なくとも現代日本ではセイヤー医師のような投薬は明らかに違法でしょう。これも結果論、たまたま結果は悪かったのですが、ある程度の冒険なしに医学も進まないのは確かでしょう。ま、悪くとれば実験ですが。パイオニア精神を重んじるアメリカの風土を感じます。ただセイヤー医師の主観的な善意は疑いません。

※ 現代医学はEBM―根拠に基づいた医療(evidence-based medicine)が基本と言われています「良心的に、明確に、分別を持って、最新最良の医学知見を用いる」ことでエビデンス(臨床結果)に基づく医療とも呼ばれています。

※ 以下、ある医療専門家の方の記事から抜粋です。長いですので興味ある方のみお読みください。

 「映画を最初に見た時、レナードの状態が悪くなるにつれ、レボドパを増量するセイヤー医師に姿に、いたたまれない気持ちになりました。…それは現代の医療では相当問題のある投与法だからです。例えば、レナードが苦しめらる幻覚や不眠といった症状は、典型的なレボドパの副作用です。にもかかわらず、レボトパ(L・ドーパミン)を増量するのは、医学の進歩の過程としてはやむをえないとしても、その犠牲となったレナード達の患者への同情を禁じ得ませんでした。
…ところが、映画では、セイヤー医師の実験的な治療が断罪されることはなく、最後までセイヤー医師の「ヒューマニズムに溢れた」医療が賛美されるのです。
 これはいくらなんでもおかしい。原作者だって、おそらく、自分の過ちを断罪しているに違いない。映画監督やハリウッドの間違った脚色だ。…私は、やや憮然としながら、原作を紐解いてみました。
 しかし、原作を見ると、更に、驚く事実がありました。なんと、原作者であり、セイヤー医師のモデルであるオリヴァー・サックス医師は、映画のセイヤー医師以上に、現在からみると極めて問題のある「治療」を行っていたのです。具体的には、現代では禁忌とされているレボドパ大量投与や突然の投与中止が行われていたのです。サックス医師が著述した患者はしばしば突然死していますが、これはレボドパの大量投与による悪性症候群が原因と疑われる患者が少なくありません。セイヤー医師の治療は、現在からふり返ると、「人体実験」に近い行為です。
 …私は慄然としました。映画が間違っているのではなく、原作者そのものが自分を断罪していなかったのです。
 そういえば、映画の中では、レナードへのレボドパ投与量は最大1回1000mgまでしか増量していませんでした。現在わが国では1日投与が最大1500mgですから、欧米人を想定すると大きな問題とはならない量なのかな…と観ていた。しかし、原作ではレナードには1回5000mgも投与しているではありませんか。これを映画では敢えて1500mgまでしか増量していないのは、明らかにサック医師が「分かっていてわざと隠している」としか思えません。
 …この映画は、どうひいき目に観ても、原作者の「医療事故」は隠蔽するような内容になっているのがとても残念です。「熱意だけの医療は偽善と医療ミスしか産まない」として観てしまう私は、へそ曲がりでしょうか。
 …ところで、レナードの強烈なパーキンソン症候群の原因疾患である嗜眠性脳炎は、過去大規模な流行が何度もあったようです。しかし、なぜか1928年以降大規模な流行はないそうです。ということは、突然、また流行が起きるかもしれない…ということですね。
 本当に、感染症というのは、恐ろしいものです」

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2010.05.09 / Top↑
 「ショーシャンクの空に」、前に記事にしましたフォレストガンプの映画と同じ時期に公開されています。フォレストガンプに話題をさらわれたのですが、その後根強い人気作品で見られた方も多いと思います。前に見て、お世話になっているブログさんでも紹介されていました。今回もまた英語の習得兼ねてとケチな思いと一緒に日英字幕で見ましたが、もうそんなもんどうでもよくなりました(^_^;)。アメリカ人も心で話す、当たり前のことでしょうがそれを感じました。「希望」という手垢のついた言葉、かみしめました。今回のお言葉は(^_^;)「必死に生きるか 必死に死ぬか」

syo-sya★ 1994年公開 原作 スティーブン・キング 例によりネタバレです

 銀行マン、アンディ(ティム・ロビンス)は静かでまじめな男だが、それが不満なのか妻が浮気する。酒に酔って間男の家に入ろうとしたアンディ、訳のわからないうちに妻と男は死んでいた。逮捕され、無実を主張したが状況的にはまったく不利で終身刑の宣告を受ける。
 入獄したショーシャンク刑務所、彼のような男にはまさに地獄であった。ホモの相手としてつけねらわれ、何度も犯される。刑務主任の男も残酷無比、アンディは死んだように生きていた。同じ終身刑の黒人、レッド(モーガン・フリーマン)と仲良くなる。レッドは殺人を犯し終身刑、仮釈放もことごとくはねられていた。調達屋として刑務所で顔が広く、タバコや酒まで調達していた。アンディはレッドに小さなロックハンマーと女優リタ・ヘイワースの大きなポスターを頼む。アンディは鉱物の趣味がありハンマーで器用にチェスの駒を作ったりしていた。
 アンディは銀行マンの経歴を生かし看守の税務相談などに乗り、少しずつ看守たちの信頼を得ていった。囚人たちのために図書室を作ったり、税務相談の褒美としてビールを囚人たちに飲ませたりして、一目おかれるようになる。刑務所所長は何かと言えば聖書を持ち出す「紳士」であったが、カネには汚く、アンディの知恵で相当の脱税、不正利殖を行っていた。アンディは黙々と従うのみである。
 アンディの無実を証明する囚人が入ってきた。アンディは期待をかけたが、彼が出所すれば自分の不正がばれる所長は事故に見せかけ証人の囚人を殺してしまう。
 アンディが入所して30年はたったある日、アンディは忽然と消えていた。脱獄である。ロックハンマーでコツコツと壁に穴を開けていた。その穴は大きな女優のポスターで隠し、30年近く掘り続けていたのだ。穴から汚い下水を通り、ついに脱獄に成功した。
 アンディは刑務所所長が不正蓄財した預金を引き出しメキシコに逃れる。不正と殺人が発覚した刑務所所長は拳銃自殺する。
 年老いたレッドは仮釈放もあきらめていたが、なんと許可された。40年たっていた。アンディとの約束の場所で、レッドはアンディの手紙を見つけた。静かな希望に胸弾ませ、彼はメキシコのアンディを訪ねる。

★ 必死に生きるか 必死に死ぬか 必死に生きた二人

 いつもながらこんな荒すじではおもしろくも何ともないと思います。ハッピーエンドは嫌いだと気取っていましたが、これは並みのハッピーではありません。唯一、脱獄については現実問題、ポスターで隠すくらいで発覚しないことはないとは思いますが、そこは片目をつむります。30年近く掘り続けたことを讃えながら。レッドが実にいいです。原作では文字通り赤毛のアイルランド人だそうですが、映画ではレッドの存在が何ともいえない味を出しています。彼は殺人を犯したことは否定せず、最後、仮釈放審査場面でも「更正とは何ですか。法律の言葉だ。意味はない。俺は殺したことを1日たりとも後悔しない日はない。もう一度殺した者と話したいが彼はもういない。仮釈放はどうでもいい」としんみりと話します。実際、40年も刑務所にいて外に出ることがたまらなく不安であったこともあるでしょう。現に、彼の前に同じような状況で出所したブルックス爺さん世の中に適応できず、首をくくります。
 レッドも同じ気持ちでした。世の中は異質の世界でした。しかしアンディとの約束を思い出します。手紙を読み、バスに乗りメキシコへ向かいます。静かなモノローグ、詩のように美しいです。「太平洋が青く美しいといいが。親友と再会できればいいが」。そして船を磨いているアンディの目にレッドが映
sysyankります。ズームアウトする太平洋、風に飛ぶレッドの帽子、美しいラストです。
 アンディ、気弱な銀行マンと思っていたら大違い、入所当初から脱獄を考えていたのです。ロックハンマーでチェスの駒を作ったのも偽装でした。所長に尽くしたのもそうです。物静かな面差しに信じられないほどの意思を秘めていました。脱獄に成功し雨の中、両手を挙げる名シーン、映像美にあふれています。また、わたしが打たれたのは刑務所に流れる名曲「フィガロの結婚」、こっそりアンディが流したものですが、誰も歌の名など知らなくても、荒くれ男どもが陶酔して聞き惚れます。荒涼とした世界に流れる美しいソプラノ、心に沁みます。
 アンディも20年にわたり静かな希望を持ち続け、ついに希望を達成します。レッドは自殺したブルックス爺さんと同じ部屋に住むのですが、社会に適応できず一時は自殺も考えながら、アンディの手紙に励まされ希望を持ちます。ブルックス爺さんが彫り残した「ブルックス、こにありき」という字に向かい、「必死に死ぬか、必死に生きるか、俺は生きるよ」と静かに語りかけ、横に「レッドもここにありき」と彫り込みます。ブルックス爺さんは必死に死んだのです。誰も爺さんを批判はできないでしょう。20年と40年、アンディとレッドの必死の希望が美しい太平洋で再会します。

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2010.05.06 / Top↑
280px-Dostoevsky_1872★ 「カラ兄」なる言葉を最近知りました。「カラマーゾフの兄弟」の略です。「カラキョー」と読むそうです。ドストエフスキー(1821~1881)の「ドスト」もあまり聞いたことはありませんでした。漫画になっていましたし、あの宝塚さえ上演しています。新訳は読んでないですが、最近亀山氏により新訳され文庫本5冊の長編にもかかわらず累計100万部という古典としては奇跡的な売り上げを示しマスコミでも注目され、さっそく、若者得意の短縮形がはやったのでしょう。読みやすいと評判です。何となくカラオケのイメージなのも頷けます。「ドス」ト「カラアニィ」とくればやくざ映画(^_^;)。いずれにしろ難解、長い、萎えるの3N、ドストの最高傑作と言われるものが広まるのはいいことだと思います。苦虫をかみつぶしたようなドストさんには申し訳ないですが、今回は「カラ兄」を不徹底に笑ってみたいと思います。

★ 長編一気読み 読者のしおり 

 大昔、なぜか金文字入りの「世界文学全集」のたぐいがはやりました。ようやく庶民もささやかな家を持てるようになった頃です。決まって洋間があり、そこにデーンと「世界文学全集」が飾ってありました。大きな本棚を置けばますます狭くなる安っぽい洋間です。うちでも母がミエを張って月賦で買いそろえました。でも今はほんとに感謝しています。ミエでも何でも世界の古典にふれることができました。「カラ兄」も当然あります。本はほとんどその後売ったりしているのですが、「カラ兄」といくつか残っていました。当時はしおりがついていて登場人物や関係図、親切にあらすじまで紹介してあります。ズバリ核心、読む前にこんなもん読んで大丈夫かいなと今は思いますが、そこはおおらか、とにかくそろえることに意味があったのです(^_^;)。このしおりよくできています。長大な作品読むよりはるかにいいかも。

「カラマゾフの兄弟」
   世界文学全集19 北垣信行訳の「しおり」より全文

 十九世紀の半ば過ぎ、ロシヤの田舎町に住む強欲で無信心で淫蕩な地主フョードル・カラマーゾフの家に父親にほうり出されてよそで育った三人の息子が帰郷する。先妻の子のドミートリイと、後妻の子のイワンアレクセイである。なおそこには町の白痴の娘に生ました隠し子のスメルジャコーフが料理番として住みこんでいる。
 ドミートリイは自分の遺産を横領した父と、町の商人の妾グルーシェンカのことで張りあい、いいなずけカテリーナから送金を頼まれていた三千ルーブリを二度にわたってモークロエ村でグルーシェンカと遊んで使いはたし、彼女の愛情をかち得る。2度めの豪遊の直前、グルーシェンカを捜しに行ったドミートリイは父の家で下男グリゴーリイを誤ってなぐり倒して気絶させてしまう。かねて主人に深い恨みを抱いていたスメルジャコーフはイワンの「すべては許される」という虚無主義的な考えに惑わされて、その晩癲癇の発作を利用して主人を殺し、金を奪って、その罪を巧みにドミートリイに転嫁する。ドミートリイは恋が成就した瞬間に嫌疑を受けて逮捕され、裁判に付される。イワンはスメルジャコーフに教唆したという罪の意識から発狂する。発狂寸前に法廷に立った彼はスメルジャコーフにその前日自白させて取り戻した金を証拠に提出して兄を救おうと自分の教唆の罪を自白するが、被告に恨みを晴らしたいカテリーナの反証が物をいい、名弁護士の奮闘も空しく被告はシベリヤ流刑を言いわたされる。

 驚きましたが「あさのぶんがく」という動画まであります(^_^;)。一応ストーリーは完結。2分もかからずたいしたものです。 


★ 2000年苦しんできた民衆 いつの日に… 

 まあ、ドストさんの例にもれず奇人変人オンパレードです。それぞれが演説のような長口上、つくづくロシア人はしっこいと思います。しかも名前がワカランスキー、最初は作品世界に入り込むのに苦労します。オヤジが強欲、好色、ふしだら、長男ドミートリイと女の取り合い、なんちゅうオヤジか。おまけにこれは現在差別語ですが「白痴」の女に産ませた子まで同居させこき使う。産ませた動機が「あの女とやることができるか」とおちょくられ「おー、やれるとも」と言って産ませたもの、無茶苦茶です。
 長男ドミートリイは軍人上がり、情熱家で単純、享楽家だが人はそう悪くない。次男イワン、理科系大学出身の秀才、無神論者でそれを突き詰め虚無的なところがあるが、けして冷酷非情ではない。3男、アレクセイ(アリョーシャ)、一応物語の主人公、清純無垢、修道院で修行し、兄弟にも深い愛を持つ。兄弟でこんなにも違うかと思いますが、ドストがそれぞれに典型的な意味を持たせたモデルと考えられます。
 当初は新聞連載されました。ロシア人はこんな小説を毎朝読んでいたのかと思うと、驚きます。ただあらすじにもあるように、ストーリーとしては父殺しのミステリーとも読めるし、込み入ってよく相手を変えるのですが、リーザやカテリーナなどの女性が兄弟に絡む恋愛物とも読めます。グルーシェンカをめぐる父子の痴話げんかもおもしろい。ただテーマはよく言われるように神、人間の罪、宗教、無神論、革命などの壮大なものです。そんな議論の一つのセリフだけで何ページにもなるような感じ、こんな議論を嫌う日本人は圧倒されます。この議論を省き、ストーリーだけに絞ったら数分の一に短縮されるでしょう。
 ドスト、生涯最後の力作、おもしろい筋立ての中に最も書きたかったのは神の意味だと思います。だがこれがまた日本人の大半はどうでもいいことでしょう。長々と神について語りますが理解するしないでなく、大方の日本人にとって真に迫るところは少ないと思います。しかし当時のロシアでは切実な問題でした。神を語ることは即政治を語ることであり、封建的農奴制が最も大きな問題となっていたロシアでは趣味ではなく生き方を左右することでした。わたしは3兄弟の中ではイワンが最も好きです。当時の農奴解放を目指した革命家たちを代弁しているのでしょう。一方アレクセイはそんな兄イワンを愛しながら懸命に神の愛をイワンに説きます。長大な物語、とてもこんな記事で全貌を書くのは無理ですが、物語のハイライトとも言えるイワンがアレクセイに議論をふっかけた場面を一部記載します。
 イワンは現実に起きた幼児虐待事件を取り上げます。トルコ兵が幼児を放り上げ銃剣で突き刺した話、お漏らしをした5歳の女の子を死ぬほど痛めつけた両親の話、ロシアの領主が飼い犬を誤って傷つけた子を猟犬でズタズタに食い殺させた話、これらをアレクセイに話し、幼児は全くの無原罪である、生まれたことが罪であるというなら何をか言わんや。このような残虐を子供は来るべき最後の審判の日まで耐え続けねばならないのか、来るべき神の「栄光」の日までこのような罪悪は許され続けるのか、そんな最後の審判、栄光の日などクソクラエ、現に泣き苦しむ子供を救わずして何が神の愛か。また狂い泣きして死んだ子供の涙は誰があがなうのか。人間の罪をあがない死んだキリストか、子供はそれを信じていたのか。
 また有名な劇中劇とも言うべき「大審問官」もとても興味を惹きます。アレクセイが作ったものです。中世のセルビアに何を思ったかキリストが姿を現します。住民は奇蹟を願い現に奇跡を行います。それを見た大審問官、キリストを捕らえ、キリストと対話します。
「おまえが死んで1500年、今頃出てこられたらはなはだ迷惑。おまえは今まで何をしていたのか。『人はパンのみにて生きるにあらず』と言ったおまえは結局民衆にパンさえ与えなかった。代わりに民衆に、天上のパン、自由を与えたと言うのならひどい欺瞞だ。民衆は自由を恐れる、自由に耐え得ない。民衆はうやまう者を永遠に求める。地上のパンを与える者が民衆の神だ。パンはわたしたちの教団が長い間苦労して秩序を作り上げ、民衆に現に与えている。おまえの名をもって、しかも苦悩と共に。これ以上私たちのじゃまをしないでくれ」
 そう言われたキリストは無言で大審問官に接吻するだけです。話を聞き終わったアレクセイは興奮して反論しますが最後、彼もイワンに接吻します。
 お===お~~~、絶世の美女のめくるめく接吻ならこの世を捨ててもいいかもしれない。汚ねえオヤジや弟にされたところで(^_^;)
  
★ ドストの真意 真の勝利者
  
(写真は有名な当時の農奴のものです)nodo 

 ドストは若い頃革命サークルに入り、危うく処刑される直前で助かります。この体験はその後の彼に決定的な影響を与えます。転向したドストのホンネは大審問官にあると思います。また大審問官は大地主として支配階級化していたロシア正教教団、王の上に君臨したローマ法王の皮肉でもあるでしょう。教団や法王は生のキリストを最も恐れていたと思います。遠藤周作の「沈黙」を日本の教団が恐れたように。子供の話はまさにその通り、初期に「貧しき人の群れ」など佳作を書いたドストのヒューマニズムです。
 大審問官の論理は現実を突きそして寂しいです。確かにキリストは当時1500年、今では2000年、いや「人類」の誕生からだと数万年、ついに民衆にパンを与えきることはできなかった。今でも毎日数万の子供が飢えで死んでいきます。それは来るべき神の栄光の試練、そのような世迷い言は絶対に受け入れることはできません。イワンが言うようにそのような栄光、試練なぞクソクラエ。「神の王国」は今度は当たる宝くじ、スカの山ばかりで気がつきゃ破産と同じです。ただ民衆は地上のパンを与えておればいい羊の群れ、それは事実かも知れませんがいかにも寂しく傲慢です。ドストはそのように民衆に絶望していたような気もします。逆説の逆説です。のちにパンだけは与えたソビエト社会主義共和国が無惨に崩壊したことを見れば、やはり人はパンのみにて生きるのではないことも確か、大審問官の論理も破綻したのです(いや、ソ連の崩壊はパンにつけるジャムが貧しかった。単にパンの問題だったという気もしますが)。大審問官の言い方はスターリンによく似ています。その意味ではドストはものすごい予言者です。
 こんな荒っぽい感想より、「大審問官」の項だけでもお読みになることをお勧めします。ここにあります。
 「カラ兄」はけしてイワンの勝利では終わりません。フョードルを殺したのはフョードルが「白痴」の子に産ませたと噂されるスメルジャコーフでした。しかも罪を長男ドミートリイになすりつける工作までする悪辣さです。スメルジャコーフはイワンの思想に感化されていたのです。「神がなければすべてが許される。父を殺したのはそう言ったおまえだ」、生まれたこと自体を憎むスメルジャコーフはイワンに言い放ちます。イワンは苦しみ狂います。スメルジャコーフはドミートリィに判決の出る前の日、首をくくります。しかしドミートリィの有罪は覆らずシベリアに流刑されます。結局最後に残ったのは神の僕、アレクセイでした。
 これがドストの結論なのでしょうか。これは、善のためには悪を殺してもいいと金貸しの老婆を殺した「罪と罰」ラスコーリニコフが、敬虔な娼婦ソーニアによって回心したのに似ています。ドストは幼い子供を亡くしています。その名がアレクセイでした。子供への鎮魂が同じ名をつけさせたととれます。また死により実現しませんでしたが、ドストはカラ兄の第二部構想がありました。(あれより長く、あきれますが(^_^;))。それではアレクセイに皇帝暗殺をさせる構想であったと言います。神の僕、アレクセイはテロリストになるのです。現に皇帝アレクサンドル2世はドストの死の直後、暗殺されました。
 新訳の亀山氏も述べているそうですが、アレクセイの勝利はドストの偽装ではないかという気がします。何より彼は転向者でした。転向後も警察の監視はやみませんでした。勝利したイワンを描けば即発禁になったと思います。また賭博好きで何度も破産したドスト、現実にカネを必要としていたのも間違いありません。多くは新聞小説なのです。まず売れることを考えるのは無理もないと思います。最後に狂ったイワンは結局冷たい論理に生きていける男ではありませんでした。柔らかい心を無理に武装させていたのです。ドストはイワンに最も共感していたような気がしてなりません。勝利したように見えるアレクセイも結局イワンの道を進みます。
 アレクセイの勝利は偽装、イワンの論理も破綻となれば真の勝利者は長男ドミートリイなのでしょうか。彼は当時のロシアでは最も多い民衆の典型でしょう。今の日本でもそうだと思います。なんら形而上のことに苦しまず、できるだけ現世を享楽し死ぬまで生きる、わたしであり多数のあなたなのだと思います。そうなるとあの長ったらしい物語を苦労して読んだのは何だったのか、当たり前のことを知るだけ。神は生かさず殺さず、世渡りの秘訣を確かめただけ(^_^;)。
 かの村上春樹氏も最も影響を受けた本にあげ、何と「人はカラ兄を読んだことのある者、ない者と二分できる」とまで言っています。まあ、その言い方なら、「人はなまこを食べれる者、食べれない者に二分できる」、何とでも言えますけれど。どうもホンネは春樹さんを読んだ者、読んでない者に二分できると言っているような。ファンの方には失礼ですけれど(^_^;)。
 
 
長い記事におつきあい、本当にありがとうございました。

 
カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)

2010.05.03 / Top↑
★ ヴェルサイユの薔薇シリーズは一時、中断します。 
 コルベ神父コルチャック先生、どちらも有名です。コルベ神父、アウシュビッツ収容所で一人の若者の身代わりとなり餓死室で殺されました。コルチャック先生、自らは助かったのに見守ってきた子供たちを見捨てることはできず、収容所で共に死んでいきました。このような人を思うと本当に言葉をなくします。すべての小賢しい評論は沈黙し、ただただ頭を深く垂れるのみです。「悪魔」さえかわいく思えるような狂気の時代、このような人が現にいた、それだけでやはり人間は崇高な存在にもなりうるのだと思いを新たにします。
 略歴は主にウィキペディアをまとめたものです。

Maksymilian_kolbe★ 「わたしを代わりに」 コルベ神父

 コルベ神父は日本に6年も滞在したことがあるのですね。長崎で熱心な布教活動をしています。貧しい食事と質素な衣服、熱烈な使命感に燃えていました。同時に来日したのがゼノ神父、彼は長崎では有名です。最後まで日本にとどまり、長崎では被爆しています。戦後も全国を回り、戦災孤児などの支援活動に挺身し、「ゼノさん」と誰からも慕われました。
 コルベ神父は1894年、ポーランドに生まれます。学生時代に聖母の騎士会を創設するなど、生涯敬虔なカトリック信徒でした。文も弁も立ち言論による布教活動に力を入れていたのですが、折からドイツのポーランド侵攻が始まります。ナチスはユダヤ人だけでなく、ポーランド人やロシア人なども多数収容所で殺害しています。ナチスに批判的な言動をとった神父はアウシュビッツ収容所に収容されます。1941年のことでした。
 収容されて2ヶ月後脱走者が発生しました。脱走者が出ればその班から10名を無作為に選び殺害するとの理不尽きわまる規則がありました。選ばれた一人の若い軍曹が「わたしには妻も子もある」と泣き崩れます。それを見た神父は「わたしは神父であり妻や子はない」と身代わりを申し出ます。餓死刑という最も悲惨な刑です。餓死室に入れられた神父は周りのものを励ましいつも祈っていました。通常ならば狂おしい断末魔に包まれる餓死室もまるで聖堂のような敬虔な祈りに満たされていたそうです。2週間たっても奇跡的に生き残っていた神父は注射によって殺害されました。1941年、47歳でした。輝くような安らかな顔だったそうです。

180px-Janusz_Korczak★ 「わたしも共に」 コルチャック先生

 コルチャック先生もポーランド人です。1878年に生まれます。医師であり作家でもある有能な人でした。コルチャックはペンネームです。子供を愛した先生はユダヤ人孤児院の院長を引き受けます。先生もユダヤ系でした。以後子供の教育に生涯を捧げると共に、優れた児童教育書をいくつも書いています。やがてドイツのポーランド侵攻が始まります。ユダヤ人孤児院も目をつけられ子供たちと共にゲットーに強制移住させられます。ゲットーでも先生は優れた著述を書いています。
 ついに先生たちはトレブリンカ絶滅収容所に収容されることになります。有名人だった先生は周囲が懸命に助命活動を行い、移送直前に先生だけ助けることをナチスも認めたのですが、先生は「子供たちだけを死なすわけにはいかない」と助命を拒否し200名の子供たちと収容所に移送され、まもなくガス室で殺害されました。1942年、64歳でした。
 のちの1989年、国連で採択された「児童の権利条約」はもともと先生が提唱した「子供の権利」に基づきポーランド政府が提案したものです。

★ これほど高貴たり得る人間がなぜ? 

 書きながら改めて本当に崇高な愛の人だと思います。抽象的な「人間」を愛することは比較的簡単でしょうが、目の前の一人の人間さえ真に愛しぬくことは困難なのだと、わたしの経験から思っています(^_^;)。
 コルベ神父は真の信仰者、もちろんあの行為も信仰が基礎であることは間違いないでしょう。「友のため命を捨てるほど尊い行いはない」との聖書の言葉をそのまま実践しました。いや、友ですらなかったのですけれど、もちろん神父にはそんなことはどうでもよかったのでしょう。不信仰者のわたしも強く心を打たれます。そして祈り。わたしは祈りなど何になるか、いや祈りなど自己の放棄だと思うのがホンネですけれど、餓死室が祈りに満たされ聖堂のようになっていたとの事実は心を揺さぶります。部屋の者たちはどれほど神父の祈りに救われ、共に祈ったか、容易に想像がつきます。わたしもその場にいれば共に祈るのでは、残念ながらそう思います。最後におのれのすべてを捨て去り、神、絶対的なものに魂をゆだねる、宗教の原点に戻る餓死室だったのでしょう。わたしには捨てきれない煩悩が一杯のようです。
 コルチャック先生は進歩的な人でした。信仰もあったと思うのですがあまり表に出ません。実践、理論、そして何よりも愛、本当にすばらしい人だと思います。当時、子供に大人と同じ人権を認めるという発想はありませんでした。先生が称えた「子供の死についての権利」、「子供の今日という日についての権利」、「子供のあるがままである権利」は本当に画期的なことであり、それから50年近くたって国連で高らかに宣言されました。
 800px-Yad_Vashem_BW_2[1] 先生は自らが称えてきた理論がここで逃げては崩壊すると思ったでしょうし、何より目の前の子供たちに最後まで寄り添いたい、その気持ちで一杯だったのでしょう。子供たちはどれほど喜び、 安らかな気持ちになったか、きっとこの世は地獄ではないと思い死んでいけたと思います。のちに作られた先生と子供たちの銅像、打ちひしがれた子供たちを包み込む先生の腕、感動的な群像です先生はきっと最後の瞬間までこうして子供を抱いていたのでしょう。(クリックで拡大)
 コルベ神父は1971年、「聖人」に列せられています。その式に出席した命を助けられた軍曹は家族を抱いて号泣したそうです。そののちも死ぬ間際まで神父のことを世界中で講演したそうです。
 優れた人の意思は死後もいつまでも人を打ち続けることを痛感します。死して命を伝えるまさに「一粒の麦」です。「唯物」信仰のわたしも人の精神の高貴さはけして疑っていません。 
2010.04.30 / Top↑

200px-Emilybronte_retouche 富 いかほどのものであろう
 
 富 いかほどのものであろう
 愛 あざ笑うしかない
 名声 朝露のようにとける夢
 祈り わたしの口にのぼる祈りはただひとつ
 「わが心をあるがままに
  ただ自由を」

 もはや終わらんとするわが命 
 願うことはただひとつ
 「生にあろうと 死にあろうと
  とらわれなき魂 忍耐する勇気」  

 まあ、すごい詩だと思います。口先だけの言葉の遊びでなく、わずか30歳の短い命でしたが、詩のようにただ魂を自由に飛躍させ幻想の文学を残し死んでいった女性がいます。世界の3大悲劇、世界10大小説の一つと言われる「嵐が丘」の作者、エミリー・ブロンテ(ウィキペディアへリンク・1818~1848)、彼女、晩年の詩です。
 イギリス北部のヨークシャーを舞台にした2家の物語「嵐が丘」、ヒースに吹きすさぶ嵐、暗い情念と狂おしい幻想に生きたヒースクリフとキャサリンはまさにエミリー・ブロンテそのもののような気がします。たった一作で世界文学に妖しい花を残し、ほとんど家を離れることなく孤独にひたりつむいだ、嵐が丘は強靱な想像力の産物です。
 
★ 2代にわたる凄まじい復讐劇 

 物語はアーンショー家の女中、ネリーを語り手に進む。
 アーンショー家の旧主はジプシーの孤児を拾ってくる。色の黒い気むずかしい子でヒースクリフトと名付けられた。アーンショー家の活発な娘、キャサリンは野性的なヒースクリフに惹かれ、二人は子供の頃から仲良しだった。キャサリンの兄、ヒンドリーはヒースクリフを嫌い、ことごとくつらく当たる。やがてキャサリンの母が死に父親も亡くなり、ヒンドリーが当主となる。ヒンドリーはますますヒースクリフを憎む。キャサリンは逆にますますヒースクリフに惹かれていく。ヒンドリーが結婚した。しかし妻は子供へアトンを産むと死んでしまう。ヒンドリーは荒れてヒースクリフを虐待する。
img3eb8ad8azikczj キャサリンがリントン家エドガーに求婚された。キャサリンは「ヒースクリフはわたしだ!」と言うほど彼とは運命的に結ばれていたのだが、ヒースクリフトと結婚すれば生活も立っていかない、むしろエドガーと結ばれヒースクリフを守りたいと、エドガーと婚約する。
これを知ったヒースクリフは嵐の夜、出奔し行方をくらます。狂ったようにキャサリンはヒースクリフを探し、ついに熱病に倒れる。
 3年後、回復したキャサリンはエドガーと結婚する。そこに成功者となったヒースクリフが帰ってくる。彼の凄まじい復讐の始まりだった。
 まず幼い頃からいじめてきたヒンドリーをばくちに誘い、破産させ、アーンショー家を乗っ取った。次にキャサリンと結婚したエドガーの妹イザベラを誘惑し家から連れ出す。虐待されたイザベラは逃げ出すが子供を産む、ヒースクリフの子、リントンである。
 一方キャサリンは密かにヒースクリフトと密会を重ねていたが、夫との板挟みもあり少しづつ狂っていく。女の子、キャサリン(同名)を産みついに亡くなる。狂ったように嘆くヒースクリフはキャサリンの墓さえあばく。

 ヒースクリフの復讐は終わらなかった。ヒンドリーの息子へアトンを酷使し、虐待する。やがてヒースクリフが誘惑したイザベラが亡くなる。子供リントンは、ヒースクリフが引き取るが、今度はキャサリンの遺児キャサリンとの結婚を画策する。エドガーのリントン家も乗っ取るためである。
 気落ちしていたエドガーが亡くなり、財産は本来甥のリントンに行くはずであるが、病弱なためリントンも亡くなる。ついに両家をヒースクリフは乗っ取った。
 すべての復讐を終えたヒースクリフであるが、彼も狂っていく。キャサリンの亡霊を見るようになり、キャサリンの墓を彷徨し彼もついに死んでしまう。
 
★ 死と隣り合わせの愛 強靱な想像力 

 
wutheringheights1992長編で入り組んだストーリーを無理にあらすじにしました。これではおもしろくも何ともないでしょうが、新訳もいくつか出ていて読みやすくなっていますので未読で興味のある方はいつか。映画化も何度もされましたのでご存じの方は多いと思います。
 ヒースクリフ、何という極悪非道と思われる方も多いでしょう。周囲のすべてを破壊しつくし、最後狂っていきます。当時女性の評価は低く、エミリーは男名で発表しましたが、背徳的だと攻撃され散々でした。宗教的感情も強い当時、よく発表したとわたしも思います。牧師の娘でもありエミリーは物静かな女性でしたが冒頭の詩のように荒ぶる魂を秘めていました。「愛 あざ笑うしかない」と書くように生涯独身で恋をしたという記録もありません。その彼女が凄まじい愛憎劇、魂は不羈奔放にヨークシャーの空を駆けめぐっていたのでしょう。
 ヒースクリフとキャサリン、これは果たして「愛」なのでしょうか。現代の定番「愛」、もちろん男女愛に限らず色んな形がありますが、男女愛も千差万別。嵐が丘の「愛」は激しく奪う、いや奪うと言うより相手との一体化です。「ヒースクリフトわたしは同じ魂」、こう叫ぶキャサリンはエミリーそのものだったと思います。まあー、何つう世間知らずの男知らず、笑うことはたやすいです。現代のように計算機片手の愛、距離感をビクビクはかるような愛、体の切れ目が愛の切れ目の愛、見栄のための愛、小賢しい観念の愛、小洒落たトレンディーな愛、そんなものは一切ありません。古典を読んだらいかに現代の恋物語が小賢しいかと思います。ただわたしも間違えてもこうはしません、破滅します、もちろんその機会もありませんが(^_^;)。孤独なエミリー自身がそんな「愛」を思い描いていたとしたら、痛ましくなります。セックスシーンなど一度も出てきませんが、一体を求める二つの魂、それはゾクゾクくるほどです。
 男女の愛を突き詰めたらこうなる、亡霊となっても求める魂、ヒースクリフの復讐もそれを突き詰めています。善悪でなくただ魂の奔流です。お茶漬けさらさらの大和民族はやはり、ここまでくるととても太刀打ちできない気がします。
 そして死が頻繁に訪れることにも驚きます。実際、彼女の兄姉は早世し、最も長生きした姉シャーロッテ(「ジェーン・エア」の作者)も38歳で亡くなっています。死と愛は隣り合わせの時代でした。いや愛に限らず生きることすべてに死が寄り添っていた時代なのでしょう。いやでも緊迫した一切飾りのないこのような死と愛の文学が生まれると思います。結局時代を映す文学が最も普遍的な文学なのだろうと思います。
 詩のように彼女も早世を覚悟していました。最後まで医師を拒否したそうです。まさに「生にあろうと 死にあろうと とらわれなき魂 忍耐する勇気」でした。ほかにも「わたしの魂は怯懦ではない」の詩もあります。痛々しいほど強いです。短い生涯を孤独に耐え、強靱に、奔放に飛翔した彼女の魂にスコッチで乾杯。
 冒頭の詩の原詩です。驚くことにNHKで放送されたヘッジファンド物語「ハゲタカ」の主題歌でRiches I hold in light esteem.が歌われました。ちょっと主旨が違うようでもありますが(^_^;)。冒頭の訳詞は辞書に首っ引きでKOZOUが訳しました(^_^;)

Riches I hold in light esteem.
And Love I laugh to scorn;
And lust of Fame was but a dream That vanished with the morn -
And if I pray, the only prayer
That moves my lips for me
Is - 'Leave the heart that now I bear, And give me liberty.'
Yes, as my swift days near their goal, 'Tis all that I implore -
Through life and death, a chainless soul, With courage to endure!

★ 嵐が丘  河島弘美 訳 (岩波文庫)

2010.04.28 / Top↑

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